秦の始皇帝が中国全土を統一したのは紀元前221年である。中華統一を果たした始皇帝は度量衡・文字の統一、郡県制の実施など様々な改革を行った。また、匈奴などの北方騎馬民族への備えとして、それまでそれぞれの国が独自に作っていた城壁を繋げて整備し「万里の長城」に結実させた。思想的には焚書坑儒を断行し抵抗勢力の芽を徹底的に摘む政策を取った。阿房宮という壮大な宮殿の建築も行い、農民は過酷な労働に苦しみ、さらに極度の圧政まで加えられた。そのことで全国各地の不満を高めてしまい、のちの反乱を生むことになる。
統一から11年後の紀元前210年に始皇帝は死去したが、主を無くした秦では全国に反乱の火の手が上がり、秦は紀元前206年に滅亡する。のちに前漢初代皇帝に就くかの有名な劉邦に降伏した秦は実はたった15年の治世で終わりを告げてしまったのである。
秦は周から王朝を奪取して成立したが、周、とくに前半の西周は儒教において理想的な時代とされている。周の政治制度は、周王が一族や功臣、地方の有力な土豪を諸侯と任じ、一定の土地と人民の支配権を与え、統治した封建制である。周王と諸侯、諸侯とその家臣である卿大夫は、擬制的な血縁関係にあり、その基盤は血縁的な宗族によって結びついた世襲制であった。
先に触れたように秦は周の封建制を否定した郡県制を敷いた。始皇帝は全国を36郡(のち48郡)に分け、郡の下に県を置き、皇帝任命の官吏を全国に派遣した。郡の長官は郡守と呼ばれ、警察担当としての郡尉、監察担当としての郡監が置かれた。周の封建制が地方分権体制であるのに対して、秦の郡県制は世襲を排した中央集権体制と言える。その統治スタイルはその後の日本や朝鮮など東アジア地域に制度的な影響を色濃く残しているのはご存知の通りである。
秦を滅ぼした前漢初代皇帝高祖劉邦は、独裁的とも言える中央集権体制の郡県制強行が秦を滅亡させた主要因のひとつとして捉え、当初は周の封建制と秦の郡県制の良いとこ取りハイブリッド体制を敷いた。つまり帝都長安の周辺は中央直轄地として郡県制を採用し、地方は一族・功臣を諸侯王、諸侯にその地の支配権を任せる封建制を復活させた。このハイブリッド体制は郡国制と呼ばれる。
その後、前漢の歴代皇帝は諸侯勢力の削減に努めることになるが、高祖の統治下数年の間に主だった功臣の諸侯王はほとんどが滅ぼされている。第6代景帝の時代に勢力削減に反対する諸侯らによる呉楚七国の乱が起きたが、これはあっさりと3か月で鎮圧された。第7代武帝の頃に事実上の郡県制へと移行したが、その間約65年の歳月をかけて慎重に中央集権統治を確立させたことになる。
今日の中国には5つの自治区がある。米英独により最近ジェノサイド指定されている新疆ウイグル自治区を筆頭に、広西チワン族自治区・内モンゴル自治区・寧夏回族自治区・チベット自治区である。
新疆ウイグル自治区は2500万人の人口を擁す資源王国である。45%がウイグル族で、綿花や油田が有名。現在太陽光パネルの8割は中国製であるが、そのうち6割は新疆ウイグル自治区で作られている。エネルギーコストも人件費も安いのがその理由である。
広西チワン族自治区は4800万人の人口を擁し、チワン族は3割ほど。世界遺産で有名な桂林があり、中国にとってはベトナムとの関係において重要な拠点になっている。
内モンゴル自治区は2300万人の人口を擁し、漢民族が8割を占めているものの、モンゴル本国330万人より多いモンゴル族が住んでいる。面積は日本の3倍あり、レアアースは中国一の採掘量。風力発電や石炭などエネルギー資源も豊富。
寧夏回族自治区は人口が588万人程でムスリムである回族は2割程度。黄河が流れているので農海産物は取れるが、砂漠化が進んでいる。
チベット自治区は人口が274万人程。チベット仏教の聖地。9割以上がチベット族であるが、君主であったダライ・ラマ14世は1959年にインドに逃れ、チベット亡命政府を樹立。亡命から早60年以上経過しており後継者問題が取りざたされている。ノーベル平和賞を受賞するほど国際的に影響力のある仏教指導者だが、中国政府からは「祖国分裂を企む危険人物」と名指しされている。
最近、清水ともみさんが上梓した「私の身に起きたこと」「命懸けの証言」を読んだ。強制収容、拷問、不妊薬投与など新疆ウイグル自治区における体験者の証言によって書かれたこれらの著作は十分信憑性が高いと判断できる。これらの残虐行為は秦の始皇帝の時代の話ではなく、現代の実話である。
中国共産党の国家目標は「中華民族の偉大な復興」であり、より具体的には鄧小平時代にも挙げられた「戦略的辺疆」(つまり発展する国は周囲を併合し勢力を伸ばすべきである)という価値観で覇権拡大を目指すものである。周辺国とは決して上述した5つの自治区に留まらず、果てしなく広がる世界を包含したものと認識すべきである。なぜなら中国にはそもそも国境という概念がなく「辺疆」つまり周辺国を次々と侵略して世界制覇を目論む歴史観しかないからである。2010年に制定された国防動員法は、中国で戦争が起きた際には世界中の中国人を動員するとともに、物資を徴収することができる法律である。日本にいる中国人に騒乱を起こさせることも可能な強制力をもった法律である。更には在中国の日本企業の資産や設備が根こそぎ収奪され、駐在日本人が人質になるリスクも抱えるものである。
習近平政権が秦のような短い末路を辿るのか、中国共産党が漢のような長期政権を盤石なものにするのかは一義的には中国国民の手にあるが、それと同じくらいに日本を含む周辺国の覚悟と備えと、それに立ち向かう姿勢に委ねられていることを忘れてはならない。今年7月1日で中国共産党は結党100周年を迎える。
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