「戦争は女の顔をしていない」

標題はベラルーシの作家であり、ジャーナリストであるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ女史の著書である。彼女は2015年ノーベル文学賞を受賞している。彼女は表題の作品以外にも、「アフガン帰還兵の証言」でアフガニスタン侵攻に従軍した人々や家族の証言を集めたり、「チェルノブイリの祈り」では、チェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇した人々の証言を取り上げている。
戦争とは、平和的解決が困難な国家間の諸課題を兵力を用いて闘争することである。戦場では如何に勇猛果敢な兵士と言えども、想像を絶する個人権利の蹂躙下に置かれる。戦争は勝者敗者共に永く癒えぬ物心両面の痛手を被る。近代ではベトナム戦争中のアメリカの退廃ムードはその代表例と言えよう。戦後は多くの人間が後悔の念に苛まれる行為であることは様々なルポルタージュや文学作品によって、私を含め多くの経験のない人々にも警鐘となっている。
戦場は多くが肉体的優位性を持ったマジョリティである男性の言葉で語られることが多いが、本書はアレクシエーヴィチ女史が多くの女性戦場経験者をインタビューすることによって、女性目線での戦争の内実を抉り出そうと試みている極めて稀有な作品である。
第二次世界大戦中、100万人を超えるソ連の女性兵士が独ソ戦に従軍したという。女史は500人を超える女性兵士から証言を2年に渡って聞き取り続け、ジャーナリストして「戦争は女の顔をしていない」をまとめあげる。しかしながら当時のソ連では「これはわが軍の兵士や国家に対する中傷だ」として検閲され出版することが叶わなかった。ようやく出版されたのは、ペレストロイカが進んだ1984年だったとのことです。話題を呼んだこの著作は200万部を超える大ベストセラーになり、国際的にも日の目を見ることになる。

戦場とは人間性をも打ち砕く過酷な状況を作り出してしまうものですが、本書では戦場でも女性でありたいという望みが各証言に表れているのが印象的です。
75人を狙撃し、11回の表彰を受けた狙撃兵マリア・モローゾワ兵長の証言「ベニヤの標的は撃ったけど、生きた人間を撃つのは難しかった。私は気を取り直して引き金を引いた。彼は両腕を振り上げて倒れた。死んだかどうかはわからない。そのあとは震えがずっと激しくなった。恐怖心に捉われた。私は人間を殺したんだ。これは女の仕事じゃない。憎んで、殺すなんて。」
他にも、過酷な戦場の中でもハイヒールを履いたりおさげ髪にする喜びを忘れない女性パイロット、行軍中の経血を川で洗い流すために銃撃を受けることも厭わない高射砲兵、「戦争で一番恐ろしいのは死ではなく男物のパンツをはかされること」と語る射撃手、女性たちの語りは男性のそれと違い生々しい「身体性」を帯びている。女子が兵士へ変身することは、ある意味女性を捨てることを意味したが、彼女たちは戦場においても決して「女性」を捨て去ることはなかった。戦場において、軍隊組織や祖国のためにと生身の人間性を拭い去ろうと藻掻く男性と、いかなる状況であっても女性でありたいと願う女性のコントラストを厭がおうにも照らし出す類のない作品と言えよう。

大祖国戦争と称して、あらゆる領域で男女同権の理念を高らかに歌い上げたソ連では「兄弟姉妹よ!」「少年少女よ!」との掛け声のもと女性たちの愛国心が鼓舞された。だが艱難辛苦の勝利を手にしたソ連軍において、彼女たちを待っていたのは戦後の厳しい差別であった。男と同じく銃を持って戦ったのにも関わらず、英雄視されたのは男性兵士だけ。そればかりか帰還した女性兵士は「戦地のあばずれ、戦争の雌犬め」と蔑視されたという。戦場において身勝手な男性目線では女性兵士は慰安婦程度にしか見られていなかったのかもしれない。

多くの女性兵士は看護部隊で看護師や助手として従軍したり、速記者、事務員、通信士、伝言士、トラック運転手、兵器庫スタッフ、機械工、暗号解読士など戦地ではありながらも流血を伴う戦場以外での任務に就くことが多いであろう。しかしながら、現代の戦争は情報戦、経済戦、貿易戦、サイバー戦などに変質していき、肉体的・物理的闘争という要素は薄れてつつある。肉体的優位性をもった男性主体の戦争は無くなることはないが、より頭脳戦の割合を増していくことであろう。

ほとんどの人間は平和を望む。ほんの一部の人間を除けば、戦争を仕掛けようと企んでいる人間は極わずかである。多数決が原則の民主主義下において、男性目線のみならず、同数同等の女性目線が政治や外交に参画することになれば、非人間的な戦争に自ら駆り出そうと行動に移す確率は限りなくゼロの近づいていくのではないだろうか。そういった意味でも女性の社会参画があらゆる領域において進んでほしいと感じる名著であった。今月末には衆議院選挙が行われる。若者の投票率が低いとは長年言われてきていることであるが、「平和」な時代は政治に関心が向きにくいことはわかるが、日本の現下は決して「平和」な状況ではない。領土の頭上をロケットが飛び越え、領域やその周辺国が危機的な状況下にあるという認識が低すぎる。「平和」は平和を維持する飽くなき努力によってのみ維持可能な代物である。少なくとも社会参画の重要な機会である投票権を、たとえ「白票」であっても行使して欲しい。それが自らを戦場に赴かせることを回避する第一ステップである。
こういった動きがあるのは嬉しいですね↓

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