旧約聖書を紐解く

ユダヤ教やキリスト教徒ではないので、ホテルにある聖書を開いたことはないし、当然詳しいわけではない。キリスト教に目覚めたわけでもないが、旧約聖書をお話として触れてみると、源流において他宗教との相似点が多々あるし、現代の人間関係においても大いに示唆に富むものと思い無謀なチャレンジをしてみようと思い立った。
旧約聖書はモーセ五書と言われる律法の書、9つの歴史書、全16巻の預言書、全6巻の詩書により構成されている。今回はそのさわりとして「創世記」の序盤を抄訳してみたい。モーセ五書の「創世記」の冒頭は第1章「天地創造」から始まり、天地創造の7日間が今日の1週間に繋がっている。

第1章「天地創造」
第1日目 光と闇を分け昼と夜を創った
第2日目 空を創り空の下と上に水を分け空を天とした
第3日目 水を集め陸と海を創った
第4日目 太陽と月を創り天の星を散りばめた
第5日目 空と海の生き物を創った
第6日目 地上に獣、家畜、人間を創り人間をすべての生き物の支配者とした
第7日目 すべてを創り終え休息した
『神様にならって日曜日は休みましょう。働きすぎはよくないです。これからしんどい仕事はAIやロボットが肩代わりしてくれます。日曜日に仕事をせざるを得ないのであれば、代休を取りましょう』

第2~3章「アダムとエバ、失楽園」
神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令したが、その後に創造されたエバは蛇に唆されてその実を食べてしまう。その後アダムもエバに促されて食べてしまい、善悪の知識に目覚めた二人はハッと裸であることに気付く。エバを唆した蛇は神によって腹ばいの生き物とされ、女(エバ)は妊娠と出産の苦痛を、男(アダム)は額に汗して働かなければ食料を手に入れられなくなる。
『エバはアダムの一部から創造された。エバは頭であるアダムに相談せずに、自分で判断したために堕落した。創造の秩序から女性が上に立ってはならないとトランプ氏を支援する福音派では教えられている。男女平等主義やウーマンリブはそういった考えに対する反発であろうか。昨今男でもない女でもない性別ⅹがパスポート上に認められるようになったという。しかし、将来にわたって男女の区別は残るであろう。その方が多くの男女のお互いのためであることは明白である』

第4章「カインとアベル」
アダムとイヴの息子たちが生まれる。兄がカイン、弟がアベルである。この二人の兄弟は人類最初の殺人の加害者・被害者とされている。カインは農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになった。ある日2人は各々の収穫物をヤハウェ(聖書における唯一神、万物の創造者)に捧げる。カインは1年に収穫した野菜から適当な物を選んで捧げ、アベルは羊の肉の中で最良の物を選んで捧げた。その結果かどうかわからぬが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めたものの、カインの供物には目を留めなかった。これを恨んだカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。
『どうもこの教えは何事にも一生懸命に取り組みなさいということのようです。この寓話の中にはカインによる人類最初の嘘も描かれており、カインを殺そうとする土地の者には七倍の復讐を与えるというヤハウェの言も記述されている。嘘をついてはいけない。嫉妬は醜い。憎しみの連鎖には歯止めを掛けなければいけない。「エデンの東」は親の愛をめぐって生じた兄弟間の心の葛藤を描いたカインコンプレックスを題材にしている名画である』

第5~11章「ノアの方舟」
神は地上に増えた人々の堕落する姿を見て、これを大洪水によって滅ぼすと決める。「神と共に歩んだ正しい人」であったノアにその事を告げ、神はノアに方舟の建設を命じた。ノアは方舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを方舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、ようやく方舟から出たノア等を神は祝福した。そして、神は全ての生物を絶滅させてしまうような大洪水を、決して起こさない事を契約し、その証として空に虹をかけた。
『大洪水などの天変地異は神の怒りによってもたらされる。試練を乗り越えると神は人間に約束をしてくれる(契約)。虹は全ての和解の象徴。順風満帆でも調子に乗ってはいけないと言っているのでしょう』

第11章「バベルの塔」
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。神は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。神はそこから全ての地に人を散らし、全地の言葉を乱したので、彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベル(混乱)と名付けられた。
『一般的には、人類が塔をつくり神に挑戦しようとしたので、神は塔を崩したという解釈になっているようです。塔が崩されたという記述はないので、人々が大洪水を引き起こした神への復讐のために塔を建て、また神は洪水が人々に知恵を授ける役には立たないと考え、意思疎通が容易でないように様々な言語を創り出した理由付けのような寓話になっています。前章から引き続いて「復讐」の無意味さ、「傲慢」にならないうようにと説いているように思います』

聖書をイソップ物語等と並べては信者の方には申し訳ありませんが、日本のおとぎ話や土地土地に語り継がれてきた物語においても教訓めいた事柄が織り込まれています。人間が定住生活を始めたのが1万年前ほどと言われていますが、呪いのような宗教的行為は5万年前以上の太古から行われていることが明らかになっています。組織宗教と呼ばれる信者獲得の宗教はバラモン教が紀元前3000年、ユダヤ教が紀元前2000年、ブッダが誕生したのは紀元前6世紀前後。そして紀元後にキリスト教、610年にムハンマドが神から啓示を受けるという系譜を辿ります。いずれもそれまで主流であった宗教の一部を否定して分化していきます。
定住生活が始まった後も、浮動生活は地域地域で数多く継続していき、定住生活が主流になるにつれて、如何に隣人と折り合いをつけて生活していくかの知恵が宗教という形で織り込まれていっているように思います。

憲法も憲法解釈という言葉があるように、人々の解釈で本来の意味が曲解されることはよくあることです。疑義が生じてきたら、原典に立ち戻り、心をリセットして原典を読み返すことで本旨に近づくことは大事なことであろうと思います。

注)『  』内は私の解釈です。「神」とせず「主」と表記すべき部分もありますが、混同を避けるために「神」という表記に統一しています。関係者からのこの点におけるご指摘はご容赦ください。

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