調達2022 迷える調達購買部員へ

変異株のオミクロン株は幸いなことに日本においては感染拡大が迅速な水際対策によって今のところ抑えられてきましたが、欧米での感染者数は目を疑うほど急拡大を続けています。丸二年続いている新型コロナの影響で、親族や友人に会えない時期が続いていましたので、この年末年始は人の移動が確実に増えると思います。これによって感染拡大が進むと思われますが、毒性が弱まっているという報告もあるので、徐々に日常生活が戻ってくるのではないかと願っています。
この2年間、ビジネスにおいても大変な制約条件の中で、調達購買部員の皆さんはご苦労されてきたものと思います。原材料の値上がりから始まり、半導体などの品不足や納期の長期化、コンテナの偏在による物流の停滞など悩ましい状態が来年もしばらくは続くでしょう。年末年始くらいは頭を空っぽにしてゆっくり休んで英気を養ってください。最後の砦はご自身の心身の健康にあるのですから。

私の仕事は対面が基本ですが、一昨年昨年とオンラインやアーカイブでの仕事も徐々に増えてきました。しかしながら、早く対面に戻って皆さんのお顔の表情を確認しながらコンサルやセミナーを行える平常モードに切り替えが進むように期待しています。一方、なかなか東京や大阪といった大都市にそうそう気軽に行けない地方の方々に対しては、オンラインやアーカイブの手法は残す意味があるのだろうと考えています。つい先月のオンライン相談や対面セミナーなどで、「今日のお話は目から鱗でした!」などと言われることが数回あり、ありがたいやら、ご発言の方はそんなに固定概念(既成概念)に縛られていたのだろうかと心配になったりもしました。

私もサラリーマン人生を32年経験しましたので、組織の一員として言動において一定の制約の下で成果を上げなければならないことは知っている積りです。幸いにも私はサラリーマン時代に、滞米生活を11年半経験することができたので、その時にアメリカ人の公私のバランスの取り方を学ぶ機会がありました。そういった経験は、確実にその後の私のライフスタイルに少なからず影響を与えています。

日本のサラリーマンは1910年代には1割しかいなかったそうで、1950年代に5割を超えたと聞きました。私が就職した1981年にはサラリーマンは8割だったそうですから、就職するという言葉は企業に入社すると同義であったと思います。植木等の「サラリーマン、気楽な稼業ときたもんだ!」の時代はその時点ではるか遠くです。最近はコロナ禍と相前後して副業解禁どころか、副業推奨みたいな状況になってきました。思えば20代に「したたかに生きなきゃ」ていうのが私の口癖だったので、その記憶が今蘇ります。今、まさに日本における組織と個人のより良いバランスを考えたときに、「したたかに」生きましょうという気持ちを改めて皆さんにお伝えしたいと感じます。コロナ禍によって在宅勤務が増えたことで、会社に行っていれば仕事をしたような気になっていた中高年はメンタル的に危機を感じたかもしれません。中高年に限らず「会議に出ていれば、仕事をしたような気になっていた」社員もあぶり出されたかもしれません。サラリーマンとは毎月一定の給料を受け取れる安定した職業です。不安定よりは安定していた方がいいでしょうが、大樹に寄り掛かったままでは、支えだった大樹が折れてしまったり、その大樹から立ち退からざるを得なくなったときに自立歩行できません。人生100年時代、まだまだ黄泉の世界に行くには時間がたっぷりあります。思えば、若いころ、人より早く学び、人より早く課題をクリアしなきゃと急き立てられるように生きてきた自分自身にやや後悔の念を懐きます。残された人生がどのくらいあるのか、わかりませんが、今思えば、そんなに急かずに生きてこなくても、もっとゆったりと丁寧に生きてくれば良かったなあと思います。その時間的余裕は十分あったんだなあと自由時間に恵まれた今になって思います。何でもかんでも早く終えてしまうと、年取ってからやることがなくなって困ってしまうもんなんだなあと実感します。マイペース、ユアペースで生きていきましょう。会社でのお悩み事などは、辞めれば済む話程度に考えて生きるくらいが丁度いい塩梅なのかもしれません。組織人の自分より、自分自身の人生を歩むべきですし、愛する人たちを守ることの方が、組織を守ることより大事なのは自明のことです。

さて、前置きがすっかり長くなってしまいましたが、調達購買に携わる皆さんに参考になればとの思いで、いくつか最近思うことを書いてみたいと思います。

➀労働生産性の話:日本の労働生産性は低いと言われます。少なからずの方が勘違いしているのではないかと思うのは、労働生産性=成果(売上・利益・付加価値)/労働投入量(従業員数・時間当たりの労働量)の式の解釈です。多くの方が時間当たりの効率や生産性を上げようと頑張っていて、主に分母の改善に力を注いでいます。しかし重要なのは分子の改善が進んでいないことです。働き方改革によって労働時間を短くしましょうということを否定するものではありませんが、付加価値の高い仕事をしなければ、労働生産性はあがらないのです。安倍政権以降、一生懸命成長戦略を描いていますが、一向に成長という成果が上がらないのはこのためです。調達購買部門として企業業績に貢献するということはどういうことなのか、ひいては顧客が価値と認めるものはなにかを意識して調達購買業務に当たらなければなりません。コスト低減とはムダなものにお金を掛けないことです。ムダかどうかは最終的には顧客が決めます。マーケティングに無頓着では調達購買部員は務まりません。

➁利益=売上ーコスト:利益を生み出すためには売上とそれに要するコストを両にらみで見なければなりません。中小規模の会社であれば、社長は当然、その両方に目配りして会社運営を行っています。ところが企業規模が大きくなると、私売る人、私買う人と分業体制になってきます。調達購買部門において分業の行きつく先は「1円でも安く買うのが調達購買の仕事」と思い込んでしまいがちです。数年前ある中規模の会社にコンサルで伺ったときに、そこの80歳にならんとするオーナー社長はQDは当たり前、Cの交渉力を徹底的に鍛えてほしいと社員の前で私に期待を述べました。30年前の私も同様に考えていた時期がありましたが、コロナ禍ならずとも昨今QCDの最適化は非常に難しく、時空間の制約の中で様々な要素を鑑みてのQCDの最適化はまさにプロフェッショナリティが求められる業務です。寿司屋のネタは仕入れに際し、安ければ安いほどいいのかと問われてYesという人はいないでしょう。どのような顧客を想定しているのかによって仕入れるものは違ってきます。売上とコストは連動して精査されなければならないもので、負の分業スパイラルに陥らないよう注意しなければなりません。

➂適正価格:我々の買っている価格は適正価格なのかという心配は常に調達購買部員に強迫観念として襲ってきます。そもそも適正価格とは何なのかも一様の答えはないのかもしれません。一般的には原価+適正利益=適正価格と言われますが、現下の原材料の値上がりなどは原価アップ以上に市場価格が上がっているでしょう。汎用性の高い商材は需要と供給のバランスで決まると言われますが、在庫という重要な要素を押さえることを忘れてはいけません。需要>供給状況では価格は当然上がりますが、どの程度のスピードで皆さんに直接影響が及ぶのかは、在庫のレベルによって変わります。生鮮食料品は在庫がほとんどないので、値動きは激しいです(最近の冷凍解凍技術の進歩で変わってきてはいますが)。長い期間在庫保管ができる(陳腐化しない、在庫費用がかさまない)ものは値動きはゆっくりです。在庫は原料メーカー在庫、製品メーカー在庫、輸送在庫、商社代理店在庫、需要家の在庫・流通の中間在庫など様々な段階で存在しますから、大本の素原料が値上がりしても、これらの在庫が緩衝材となって、最終需要家に影響が及ばないで市場が落ち着いてしまうこともあります。在庫には安い在庫もあれば、高い在庫もあります。皆さんはどの価格レベルの在庫を手に入れられるのかも重要な要素です。ここに取引先との関係性やバイヤーの力量の強弱が反映してきます。製造業における適正価格とは安定的に後工程あるいは最終顧客に供給できる価格と私は定義付けています。ですから、適正価格は会社それぞれによって違います。100円で買っても赤字になる会社もあれば、300円で買っても黒字になる会社があります。「高く買う」というのと「高く買える」というのは違います。中国の経済的台頭によって「買い負ける」という言葉が使われるようになったのはこのためです。

➃魅力がない仕事なのか:なかなか若い人のモチベーションが上がらず、調達購買活動が停滞しているという話もよく聞きます。若い人の活力は組織を明るくします。そういった若い人がやりがいを持って業務に当たれる環境を作るのは、先輩や上司の役目です。サプライヤーにはやたら強い態度で接するけれど、会社内部の人間にはからっきし弱いというのは、自分自身や調達購買部門の会社における責務を十分理解できていないからなのではないかと勘繰ってしまいます。どの部署でも会社目標に向かって協力してやっていく訳ですから、その存在感が薄いというのであれば、力量不足・努力不足です。他部門ではできない、やっていないことをチャレンジ精神をもって行っていないからなのではないでしょうか。誰でもどこでもできる「作業」をやっているのであれば、存在感が薄くなって当然です。
最近の百貨店はテナント化が進んで、子供たちも含めて皆がワクワクしていくようなところではなくなっていますが、かつての(過去形にしてはいけないかな)百貨店のバイヤーは花形職業でした。製造業のバイヤーとの最大の違いは「自分で買うものを決めているかどうか」です。開発購買を進めていけば、決められたものを買うという立場から、決められた機能を買うという形になり、いくらかは買うものを決めるのに自分が関わっているという実感が湧いてくるのではないかと思います。若い人の活力を維持していくためには先輩がアドバイスや手助けを行い、上司が関連各部門に調達購買部門の責任と権限を説明し、理解と協力を求めて連携し、部員が「仕事」(作業ではなく仕事)をしやすい環境を作ることがとても重要であると思います。

➄最近のバズワード(SDGsやDX):調達購買部門が直接影響を受けるバズワードとしてはCO2排出量の件や、新疆ウイグル問題や紛争鉱物など人権問題の件やら色々ありますが、SDGsやDXについて一言だけ。SDGsはSustainableのところばかりが強調され、Development(あえて成長と解釈したい)への力点が不足。DXも同様で、Digitalばかりが強調され、Transformationへの重心が忘れ去れているように感じます。後者の単語が目的で、前者は修飾語あるいは手段であると認識して欲しい。

➅調達購買のKPI:現役晩年に某講演会でいわゆる自動車業界のTier1企業の購買担当役員の話を聞く機会があった。大変感銘を受けて、講演終了後壇下で名刺交換させていただいた。その後、直接連絡をさせていただき会社を訪問して異業種交流会をさせていただいた。その役員の語るご自身のKPIとは子会社の社長に何人自分の部下を送り込めるかというものだった。まさに目から鱗であった。コンサル業に転じて様々な会社のお手伝いをさせていただいているが、中にはこれでもかというくらい数十のKPIが並んでいて、さらに「足りないものはありませんか?」と問うてくる調達責任者の方もおられた。KPIが多すぎる組織は総じて防御的である。あれもやってます、これもやってますと突っ込みに対しての備えは十分に見えるが、あれで部下あるいは組織の隅々まで優先順位や重要活動目標が理解・浸透しているのか甚だ疑問である。目的と手段がごっちゃに書き連ねている感がある。調達購買の仕事を真剣にやっていくと経営者としての資質が備わってくると思う。経営分析ができ、顧客と言わず取引先と言わず交渉ができ、QCDの最適化ができ、優先順位(実は後回しにすることを決めることで優先順位が際立ってくる)付けが的を得ていて、組織運営ができる。最強の経営者が出来上がる。

もっと書きたいことはありますが、それらはまた次の機会として、最後に「風土」の問題に触れたいと思います。多くの企業コンサルに関わって感じるのは、最後は「企業風土、組織風土」です。いくら戦略戦術を語っても、それらが組織的に動き出さなければ何も成果は得られません。何か動きが緩慢、やる気が感じられない、こういった企業風土を変えるにはお金は必要ありません。言いたいことが言える風土、最近よく言われる「心理的安全性」を組織内に担保せねばなりません。偉くなればなるほど、耳を大きく、口を小さく。

コメント

  1. fujita より:

    神谷さん、コメントありがとうございます。日本電産のCEOであった永守さんの話を直接聴く機会が数年前にありました。その講演後の質問者(中小企業の社長)の質問に「1日3時間の睡眠で3年やってダメだったら、私のところに来なさい。面倒見ます!」というモーレツな回答にびっくりしました。最近の永守さんはやや温和になったように感じますが、氏の最新刊「経営とお金の原則」の中で「購買にこそエース級の人材を配置するべきだ」といったフレーズがあり、購買マンに勇気を与えてくれるものでした。

  2. 神谷 幹雄 より:

    リタイア後、調達関連の話題から遠ざかっていましたが、久々に覗いてみました。
    面白く読みました。

    「その存在感が薄いというのであれば、力量不足・努力不足です。」
    気概をもって勉強すれば、必ず改善できるはず、と私も思います。

    こういう類の会話をすると、「僕には能力がない」と言い訳をする人も多いですが、受験勉強よりは楽だと思いますよ。