ゴマ信用(芝麻信用)は中国アリババグループのアント・フィナンシャルサービス傘下の独立した第三者信用機関による信用調査のことである。クラウドコンピューティング、機械学習などの技術を通じて個人や企業の信用状況を客観的に反映する信用評価であり、中国においてこのスコアは社会生活を営む上で、今や重要な指標になっている。
ユーザーは自ら身分証、クレジットカード、保有不動産など個人情報をゴマ信用のアプリに入力した後、ゴマ信用はAIによってユーザーのスコアを総合的に算出する仕組みとなっている。算出されるスコアは、以下の5段階に分類される。1)350~550 「信用較差」(やや劣る)、2)550~600 「信用中等」(普通)、3)600~650 「信用良好」(やや優秀)、4)650~700 「信用優秀」(優秀)、5)700~950 「信用極好」(極めて優秀)。
筆者が初めてアメリカに赴任した時に、アメリカにおいては信用がないので、クレジットカードで買い物をして、ちゃんと期日までに支払いをして、信用データをつくるようにと指南を受けた。そもそもクレジットカードを手に入れるためには、その信用データが必要なので、何の伝手もなく自由な国アメリカに飛び込むような若者は、最初の段階で苦労することになる。筆者は幸い企業の赴任者という扱いでアメリカの地を踏んだので、会社からカンパニーカードが支給され、車や家や家具などは敢えてローンを組んで地道に返済実績を積み重ねることによって信用度を上げ、別のクレジットカードを入手することができた。借金しないと信用度が上がらないという社会は、現金社会の日本とは全く異なる構造であるということを思い知らされたものだ。
アメリカのクレジット・レポートとクレジット・スコアは、ソーシャル・セキュリティ・ナンバー(SSN:社会保障番号)で管理されている。クレジット・スコアの数値は、算出する会社によって若干異なるが、だいたい300から850とされている。数値の分布はゴマ信用と大差ないので、アリババはアメリカの信用調査のロジックを研究したのであろう。一般的に、620以下のクレジットスコアは「リスクが高い」(high risk)とされている。雇用主の72%が、就職希望者の身元調査を行い、そのうち29%がクレジットの確認も行っている(CareerBuilder)。これは、仕事で多額の資金を運用することをまかせられるか、正しい判断力があるか、犯罪を犯す可能性がないかなどを見るためである。
日本ではCIC(Credit Information Center)、JICC(日本信用情報機構)、KSC(全国銀行個人信用情報センター)などの指定信用情報機関があるが、相当返済に苦労しているとか、特別に信用情報を求められる状況がない限り、一般人が開示請求をするような事態には至らないと思われる。日本社会と米中はかなり様相が異なると感じる。
ゴマ信用に話を戻すと、スコアが700以上の「信用極好」に格付けされると、住宅ローンが低金利で組める、家を借りる時の敷金が不要、レンタルする場合の保証金が免除される、金融商品の金利が優遇される、各種の割引が受けられるなどの特典が得られる。また一定のスコア以上の人しか参加できない就職活動の機会を得られたり、出国時のビザ取得手続きが一部免除されるなど「上級市民」としての扱いを受けられることになる。
一方、スコアが低い人は、採用拒否など就職で不利、高速鉄道や飛行機の利用制限、ホテル宿泊ではデポジットが必要、ブラックリストに載ってSNSで晒される、婚活サイトで相手にされないなど、差別とも呼ぶべき社会生活での不便を強いられる。さらには親のスコアが低いと入学拒否されるといった、自身では如何ともしがたい不利益を甘受せざるを得ない状況も生まれている。
ゴマ信用のスコアが上がる要素には、1)身分属性(学歴や職歴、身分証の情報)、2)支払い能力(不動産などの資産状況)、3)利用履歴(クレジットカードの返済履歴)、4)人脈(交友関係や知人の信用状況)、5)消費行動(買い物やサービスの利用履歴)があるとされ、ファイナンシャル面だけでなく、人脈などのHuman Capitalも調査要素に取り込んでいる点は大きな特徴である。全ての個人情報は中国共産党に吸い取られることを考えると、非常に怖いものであると言える。
詳細の評価基準は非公開で、アリババとしては自社のアリペイを使うことによって信用度が上がるようなロジックを組んでいることは十分考えられる。個人の信用度を上げるためにスコアの低い人との交友を切る、あえて寄付をするなどの偽善行為に走る人も出てくる。中国共産党の指導なのか、派手過ぎる結婚式はマイナス10、ホテルの備品を持ち帰るのはマイナス、電車での座席の独り占めや楽器演奏はマイナス、お墓参りで爆竹を鳴らすとマイナス20など、2億台ともいわれる監視カメラに囲まれた中国人民は、始終更生を求められるような収容所環境に馴染まざるを得なくなるのであろうか。
中国共産党の狙い通りというべきか、ゴマ信用の社会浸透によって、レンタカー会社での料金踏み倒しが52%減ったとか、交通違反罰金の踏み倒しが27%減ったとか、車の盗難が46%減ったなどの行動改善が報告されていて、人々のモラル向上に一役買っていることは確かなようだ。しかしながら、なかなかスコアを上げられない人の中には、何とかしてシステムをハッキングして自分のデータを改ざんしようという輩も出てきていることが報告されている。
古今東西、社会は支配階層と被支配階層に分化されてきた。中国の宋の時代には、それまで社会を支配していた貴族層が没落し、大地主が地代収入を基盤に台頭してきた。そこから科挙に合格する子弟が生まれ、儒学の教養を身につけた知識人が階層社会の上層部を形作ることになった。経済基盤を作ることによって、被支配層から支配層へのしあがってきたのが歴史の習いである。アメリカに代表される資本主義社会はアメリカンドリームを謳いあげたきたものの、実現できた成功者は一握りなのかもしれない。
オタワ大学の調査によると、子の世代が親の世代の階層から抜け出せないまま同じ階層にとどまる確率は、主要先進国の中ではイギリスとイタリアが最も高く、次いでアメリカとなっている。アメリカンドリームの実現は、実際には日本やドイツ、オーストラリアよりも難しいとされている。トマ・ピケティは著書「21世紀の資本」において、金持ちはさらに金持ちになり格差が拡大している、階層が固定化していることをデータによって証明した。アメリカに次ぐ経済的な発展を遂げた中国では習近平が2012年にチャイニーズ・ドリームとも呼ばれる「中国の夢」というスローガンを打ち出した。しかし、こうして現代社会を見てみると、実態は成り上がりを拒む、抜け出しがたい、固定化した階層社会を生み出しているように見える。
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