私は声を荒げることはめったにない人間だが、過去に役所の窓口、銀行の窓口でその行為に出たことがある。病院の医者の前でも声を荒げたくなったことはあるが、それは抑えた。その代わりと言ってはなんだが、これまで低かった血圧が年のせいもあってか急激に上がった。
これらに共通項があるとすれば、それは杓子定規で融通が利かないということである。それは取りも直さず社会通念とずれている世界にその住人たちはいるということでもあろう。全てを法律や規範、ルールに縛られて状況に応じた臨機応変な対応ができない人たちの集団である。世の中の総てをルール化することはできない。ルールや法律は常に後付けで作られる運命にあり、最近はとみに社会の変革が猛スピードで進んでいるのに加えてコンプライアンスなるものが跋扈して臨機応変に対応を試みると責任を問われ炎上する。活力のない世界になるはずである。
日本の法体系は基本的にポジティブ・リストによって作られる傾向があり、やって良いことだけが書いてある。であるから、新しい事柄は新しい法律を作るまで対応できない。役所には「許可願い」を出して受理されないと事を起こせない。ネガティブ・リストは原則許可で禁止事項だけが書いてあり、それを犯さない限りは罪に問われない。
話は少し横道に逸れるが、日本の自衛隊は前身が警察予備隊であり、行政機関のひとつとして今日に至っている。警察は国家権力を有するので、法律で縛る必要がある。ですから、行政機関はポジティブ・リストで縛られていて、本来シビリアン・コントロールは必要としない。一方、軍隊というのは国土国家防衛を目的とする組織で、いつ何時何が起きるか想定できない。都度法律を作ったり、議論したりしている余裕はないので、ネガティブ・リストでやってはいけないことだけを明記して司令官による現場対応で対処しなければならない。日本では自衛隊をほぼ軍隊として多くの国民が認知しているにも関わらず、行政機関のひとつとして扱われているため、全く有事に対応できない。安保法制やNSCが出来ても、ころころ変わる総理大臣(行政機関の長)が自衛隊の最高指揮監督権を有するという建付けでは、間違いなく有事には初動は遅れ、有効な対応が出来ないと断言できます。(ちなみに今の法体系では自衛隊は道路交通法を守らなければいけないし、高速道路の通行料も払わなければなりません)
さて、話を本論に戻しましょう。役所で声を荒げた最初の経験は1991年7月の海外赴任から帰国した時のことです。その時、子供たちは9歳、6歳、6歳でした。日本の夏休み明けの9月(2学期)から子供たちを学校に行かせればよいと考えて役所に手続きに行きました。すると役所の担当者は7月の数日はまだ学校はやっているので、学校に行かせろというわけです。子供たちにとっても日本での生活は3年ぶりなので、日本の生活に慣れさせて2学期から行かせるというのは普通の親であれば考えることでしょう。しかし、くだんの担当者は「憲法第26条第2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」ことを盾に、すぐに学校に行かせないとは親が子供に対する義務を果たさないのかと恫喝とも取れる言い様をするのです。ビックリしました。大声で反論する我夫婦に係長も現れてしばらく紛糾しましたが、もうその結末は覚えていません。とにかく「訴えたかったら訴えろ!」と叫んで、その場をあとにし、2学期の初日から子供たちを学校に通わせました。
今、日本の小中学生のうち、30万人が不登校だそうです。総数が900万人強ですから3%の子供たちが「長期欠席者(年間30日以上の欠席者)のうち『何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にある者』ただし、病気や経済的な理由による者を除いた者をいう」という定義に当てはまることになります。その数は10年前と比較すると小学生は3.6倍、中学生は2.1倍増となっているということですから、日本の将来を考えると少子化対策より重要な案件と私には思えます。
昔は私も、今の若いものは辛抱が足りない、根性がないと昭和式に思っていた時期もありますが、今となっては最早、社会がいびつになっていること、社会が変化していること、価値観が変容してきていること、工業化社会の優等生として君臨していた日本の存在感が低下していること等を考えると、今6歳、3歳の孫たちには公教育を受けるデメリットの方がメリットより大きいのではないかという懸念が渦巻きます。もちろん、それらは親の責任において判断すべきことですが、もし相談されるようなことがあれば、躊躇なくそのように答えるでしょう。今の公教育のあり様にこれからの未来を切り開いていく価値を全く感じません。
これらの状況に危機感を持つ人たちも相当数いて、フリースクールなどを運営していますが、金銭面でも資格面でももっと手厚い支援を必要としているところが多いです。2016年に文科省も「不登校を『問題行動』と判断してはならない」と通知を出していますが、その対応は遅く小さいと言わざるを得ません。日本以外でも、例えば、厳しい受験戦争で知られる韓国で「代案学校」が増えていて、国から学ぶように決められているのは国語と社会だけで、他は学校が自由に決めていいことになっているそうです。
フランスでは30年ほど前から、学校を休む子どもたちを支える仕組み作りを進めてきたそうです。子どもと学びをつなげる専門家には「エデュケーター」と呼ばれる国家資格があります。子どもの発達や心理、障害などに関する専門の知識を有するそのようなスペシャリストが6万人以上も活躍しているそうです。
今、「『銀の匙』の国語授業」(橋本武著)という本を読んでいます。橋本武は灘中高の国語の先生でした。当時、東京高等師範学校の卒業生は公立の学校に就職するのが当たり前であった時代に、橋本は公立校よりも格下とされた私立の灘中学へ赴任します。そして16年の教師生活を基に16年後には中学3年間をかけて「銀の匙」(中勘助著)一冊を読み上げるという国語授業を始めました。
橋本は中学校の教師になった時に、こう考えたそうです。「自分が中学生だったとき、先生から何を教わっただろうか」と考えて愕然としたというのです。先生に親しみはあっても、授業の内容がまるで思い出せない。自分がどんなに一生懸命授業しても、卒業したらすっかり忘れられてしまうというのでは、こんなに空しいことはない。勉強したことが生涯心の糧になるような、そんな教材はないか、とずっと考えていたというのです。
そして、橋本が選んだ教材は中勘助著の「銀の匙」でした。「銀の匙」は中勘助の師匠である夏目漱石が「これほど美しい日本語はない」と褒めた文章だそうです。そしてその内容は幼いひ弱な子供が逞しい青年に育っていく物語で、中学生にはぴったりの教材だと考えたものでした。授業で横道に逸れるのは大歓迎。毎回プリントを自作で用意して、生徒の興味を自ら広げていくような授業を目指しました。「まなぶ」と「あそぶ」を両立するような中学の国語の授業を文科省の指導要綱に全く縛られずに3年間進められたそうです。現神奈川県知事の黒岩祐治氏はその教え子のひとりで、自身の著書によって橋本を有名にしました。橋本の教え子には遠藤周作など多彩な人材が多く輩出しており、橋本は彼らを優しいまなざしで見守りながら満足するかのように101年の長い生涯を2013年に閉じました。
「先生に教え育ててもらい金太郎飴の一員になる」時代から「自ら興味あることに挑戦し、どんどん深堀していき個性を磨く」時代になりました。孫が目を輝かして「あそび」「まなぶ」姿を見ていると、ずっとそんな心持で成長していってほしいなあと心底そういった気持ちになります。
コメント
藤田さん、今回も興味深い内容でした。4月には子供たちが六年生と三年生になるので考えさせられます。不登校の数字、深刻ですね。ソニーの平井元会長が以下のように、子供に色んな経験をさせよと仰っていたことが印象的で、残っています。銀の匙、読んでみます。https://www.qab.co.jp/news/20230314168476.html
池田さん、コメントありがとう。平井さんの言っていることごもっともです。子供たちを見ていると興味の有ることには目を輝かせて取り組んでいますね。親はそれを後押ししてあげればいいだけです。世の中は良かれ悪しかれ変化していくので、親の価値観を押し付けないことです。親の価値観は自身の経験に基づいているものなので、子供たちの将来に役に立つかどうかは甚だ疑問ですから。