日本神話とギリシャ神話(今回は長文です)

日本神話において重要な役割を担うのはイザナギ・イザナミの夫婦神である。夫婦の営みによってヒルコ(水蛭子)という最初の子が生まれた。ヒルコは3年たっても足が立たなかった。夫婦神はこの子を葦船に入れて流して捨てた。次に淡島(泡のような、島としては未熟児)を生んだが、子供の数に入れなかった。
夫婦神はどうも良い子が生まれないので、天上に上り天つ神に相談した。天つ神が占ったところによると、イザナミから声をかけたのがいけなかったのだ、もう一度やり直せとのこと。今度はイザナギから声をかけた結果、無事に淡路島をはじめ、八つの島を生むことが出来た。
国生みが終わると、夫婦神は沢山の神を生んだ。海(の神)を生み、川(の神)を生み、山(の神)を生んだ。イザナミは最後に火の神であるカグツチを生んだ。その時に火熱で陰部を火傷して臥(ふ)した。イザナギの吐瀉物や汚物からさらに沢山の神が生まれたが、結局イザナミは火傷がもとで死んでしまった。
イザナギは妻の死を悲しんで泣いた。そして妻を死なせた子カグツチの頸を剣で切った。そのカグツチの死体からまたしても神々が生まれた。
イザナギは死んだ妻が忘れられず、黄泉の国まで追って行った。妻は閉じた家の戸を開けて出迎えた。イザナギは妻を黄泉の国から一緒に連れて帰ろうとした。妻はこの国の竈で煮炊きしたものを食べてしまって身体が穢れているのでこのままではここを去ることはできないとイザナギに話す。妻は黄泉神に現世への帰還を頼んでみるから、その間は自分を見ないで欲しいと言って奥に入った。
イザナギは妻があまりにも長く待たせるので不審に思い、その戸口から中に入って見たところ妻の体は腐乱しウジが湧くほど物凄い有様であった。驚いたイザナギが逃げ出すと、妻は自分に恥をかかせたと憤り、黄泉醜女(よみつしこめ)や多くの死者にイザナギの後を追わせた。イザナギは寸でのところで黄泉の国の出口に成っていた桃を三つ投げて追っ手を蹴散らし蓋をした。しかし、執拗なイザナミは自ら追いかけ、「現世の人間を1日に1000人殺す」と喚き、それに対してイザナギは「それなら俺は1日に1500の産屋を立てる!」と言い返して絶縁した。
死の国から帰還したイザナギは穢れた体を浄めるために左眼を洗い、その時に生まれたのが天照大御神(アマテラス)である。右眼を洗った時には月読命(ツクヨミ)が生まれ、鼻を洗った時には須佐之男命(スサノオ)が生まれた。この3姉弟がイザナギの100番目以下の最後の子供たちで、三貴神と言われる。

ギリシャ神話において最高神とされるのがゼウスである。雲上の玉座にどっしりと座り、その傍らには鷲を従え、稲妻を操る杖を持って威厳を保っているというイメージである。ところがゼウスは大変な浮気者とされ、妻のヘラの目を盗んでは多くの女神や時に人間との間に沢山の子供をもうけている。イザナギ・イザナミ同様に系図には書ききれないほどの数である。比較的良く知られているところでは女神レートーとの間にアポロン(芸能・芸術の神)とアルテミス(狩猟・貞潔の女神)を、女神ディオーネーとの間にアフロディーテ(最高の美神・戦の女神)を、また人間の女性ダナエー(アルゴスの美貌の王女)との間にペルセウス(メドゥーサの首を取った英雄半神)等を誕生させている。

イザナギやイザナミは神代七代の中のペアで親に関しての言及はない。しかし、ギリシャ神話の最高神ゼウスには父母がいる。ゼウスの父はクロノス(農耕の神)、母はレアー(大地の神)である。ゼウスは末っ子で、兄にハデス(冥府の神)やポセイドン(海と地震を司る神)がいる。そしてゼウスの正妻であるヘラは実は姉である。これ以上は触れないがギリシャ神話には近親相姦も少なくない。イザナギとイザナミも兄妹という指摘があり、その子であるアマテラスとスサノオの姉弟の間にも5人の男神がいる(勾玉に息を吹きかけるという隠喩になっている)。前段の未熟児や奇形児の話からその意味も理解できるし、原始の出産が不衛生で産後のひだちが悪く、母親が死んでしまうということが多々あったことも容易に想像できる。ちなみに古事記・日本書紀の後段(中下巻)には兄妹の結びつきは反乱と死罪に深く関係してくる記述があることを鑑みると体験的に遺伝子の成せる所業を認知していったように感じられる。

話を元に戻すと、ゼウスの父であるクロノスの父はウラノス(天空神)、母はガイア(地母神)である。この二人が結ばれ、地上に山や木、花、鳥、獣、星を生み出した。しかし、ガイアは一眼巨人のキュクロプスや、100の手と50の頭を持つヘカトンケイルをも産んだ。
ウラノスはこれらの子供を嫌い、生まれるとすぐにタルタロス(冥界)に閉じ込めた。これに腹を立てたガイアは、息子のクロノスに斧を渡して復讐を頼んだ。ある夜、ウラノスがガイアの寝室にやって来た。部屋の隅に隠れていたクロノスはウラノスに襲いかかり、その男根を切り落として海に投げ捨てた。クロノスはウラノスに代わって天地の支配者となる。
しかし、のちにクロノスは自分の息子によって倒される運命にあることを父ウラノスと母ガイアから聞いていたため、妻レアーが子供を出産するたびに呑み込んだ。深く悲しんだレアーは両親の助言に従ってクレタ島のアイガイオン山中でゼウスを出産し、クロノスに知られぬように密かに育てた。後に予言通りクロノスは10年に及ぶ覇権争いを経て、ゼウスに倒される。その際にクロノスに吞み込まれていたゼウスの兄弟は呑み込まれた順序とは逆に吐き出され救い出された(ゆえにこの時から末っ子のゼウスは長兄になったという説あり)。

ギリシャ神話にはイザナギとイザナミの話に酷似したこんな話がある。
オルフェウスという吟遊詩人で才能ある音楽家がいた。彼はその才能を父親のアポロンと、カリオペー(文芸を司る女神)という母親から受け継いだ。聞いた誰もが魅了される、神から与えられた声を持っていて、竪琴を子供のころから習得していたと言われる。

神々や死の運命さえも、彼の音楽には抗うことができず、木々や岩々もその音色を聞こうと近寄って来た。ある日彼は、周りに集まった聴衆の中から、美しく控えめなニンフ(精)のエウリュディケーに目を留める。エウリュディケーもまた、オルフェウスの声と美しさに惹きつけられてふたりは恋に落ちた。

離れがたくなったふたりは、しばらくして結婚することに決めた。結婚式の日は、明るく晴れ渡り笑いが絶えず、彼らの幸運を確信させるものだった。暗くなり、ふたりが帰路につく時刻となる。ところがその夜、以前からエウリュディケーを自分のものにしようと企んでいた牧者のアリスタイオスは、森の中に隠れてふたりが通りかかるのを待っていた。彼はそこからオルフェウスを殺そうと飛びかかりました。

それに気付いたオルフェウスはとっさにエウリュディケーの手を掴み、走り出しました。アリスタイオスは、彼らを森の中に追いかけます。森を走り抜けたオルフェウスは突然彼女の手が自分の手から離れていくのを感じました。動転して彼女の傍らに駆けつけると、死んだように蒼白になっているのに気づきます。彼女は突然死んでしまったのです。その数歩前に蛇の巣の中に足を踏み入れ、そして毒蛇に噛まれたのです。

エウリュディケーの死後、オルフェウスはかつてのような明朗な性格ではなくなりました。死んだ妻のことを悲しむ以外には何もできず、冥土の世界を旅して、彼女を取り返そうと決心します。オルフェウスは、冥界の番人の前に立つと、なぜここに来たのか話しました。そして、冥界の王ハデス(ゼウスの兄弟)と王妃ペルセポネーの前で渾身の気持ちを込めて竪琴を奏で歌いました。

神であろうと人であろうと、たとえ石のような心の持ち主でさえ、その声にある哀惜を無視することはできません。ハデスは耳を傾け、ペルセポネーの心は溶かされ、冥界の入り口を守る番犬である、ケルベロスと呼ばれる巨大な三つ頭の犬ですら、感動のあまり鳴いたといわれます。

オルフェウスの歌に心を揺り動かされたハデスは、エウリュディケーを彼の後ろに付き従って生者たちの世界に戻すと約束しました。しかし、それには1つだけ条件がありました。それは、ふたりとも生者たちの世界の光が見えるまで、決して彼女のことを振り返ってはならないことです。

喜んだオルフェウスは、冥界から出る道のりを進みます。彼が冥界の出口に近づいたとき、妻の足音を聞きました。すぐに振り返り抱きしめたくなりましたが、何とか気持ちを抑えていました。ところが、出口にたどり着くと、その心臓の鼓動はどんどん早くなり、生者たちの世界に踏み出したまさにその瞬間、妻を抱きしめようと彼は振り返ってしまいます。

彼が振り返って見たのは、一瞬のうちに消えていく彼女の姿でした。ふたりとも生者の光の中にいなければならないということを忘れていたのです。この不従のために、エウリュディケーは暗い黄泉の国に引き戻され、そしてそこに閉ざされてしまいました。たったあと数秒待てばよかったのです。苦悩と絶望に襲われた彼は意を決してもう一度冥界にやって来ます。

しかし今度は入るのを拒否されました。門は閉ざされ、ゼウスによって派遣されたヘルメス(ゼウスの使いであり、旅人・商人などの守護神)が中に入れようとしませんでした。つまり、彼はひとつの簡単な規則を守ることが出来ず、そのことを咎める神々の怒りに触れたのです。失意のオルフェウスはあちこちを彷徨い歩き、来る日も来る夜も絶望の底にいました。他の女性と接触することを拒み、若い少年に伴われることを好んだとされます。

彼の唯一の心の慰めは、大きな岩の上に横たわり、風の音を聞き、広がる空を眺めることでした。彼に邪険にされたトラキアの娘たちの一団は、オルフェウスの拒絶に反抗して、
襲い掛かります。そして無残にも彼を八つ裂きにして、バラバラにした上に竪琴と一緒に川に流しました。

死んだ彼の頭部と竪琴は、それでもなお悲しい歌をうたい、レスボス島まで流れ着きます。
そこで、音色と一緒に発見され、彼のバラバラになった肉片は集められ、そして埋葬されました。

のちにその竪琴は天上に運ばれ、夏の大三角形の一つ1等星ベガが目印となる竪琴の星座になったとされますが、あまりに惨い結末を後世の人が脚色したのではないかと言われています(星座の起源は約5000年前のメソポタミア地域とされています)。

神話の研究者たちは世界中の神話を分析し、紐づけようと日々研究をしています。ギリシャ神話はローマ神話に引き継がれ、民間伝承と結びつきながら様々に変化していきました。ですから、矛盾点も沢山あります。後世の人が辻褄合わせにひねり出したお話もあります。北欧神話やアラビアンナイト、中国神話など沢山のお話も何千年もの時を経て、現代に受け継がれていることを考えると、多くの人に教訓を与え、支持を得ることができた神話だけが生き残って私たちを楽しませてくれているものと思います。3000年ほど前には、仏教・キリスト教・イスラム教などの世界宗教の先駆けとなったゾロアスター教が生まれ、それらの宗教と交わりながら神話は権力基盤の礎(政治利用)になっていった歴史もあります。昨今議論されているAIの利便性とそのリスク(フェイク)や、神話や宗教に見られる善と悪のせめぎ合いなど古くて新しい問題に人類は直面している気がします。時には虚心坦懐に、先人が残してくれた原典に改めて当たってみて、喜怒哀楽に興じたルネッサンス的な人間の原点に思いを馳せることもひとつの愉しみなのかなぁと感じます。

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