久しぶりに一気に読み終える本に出会いました。ライフネット生命保険株式会社の出口治明会長兼CEOの書かれた「仕事に効く教養としての『世界史』」という本です。私が購入した本は出版から1か月も経たないうちに第三刷になっていますから結構売れ行きも良いのだろうと思います。タイトルの「仕事に効く」っていうところは個人的に編集部のセンスを疑いますが、題名を置いても、中身は歴史観において新しい視点を沢山提供してくれる好著です。著者は保険会社を退職後、大学の講師などを経て現職に至りますが、これまでに訪れた都市が1000以上、読んだ歴史書は5000冊以上という博覧強記ぶりとそれを基にした大河的視点を著書の随所に見せてくれます。
私の世代が習った世界史は明らかにヨーロッパ中心の西洋史観で、ギリシャ・ローマから始まりキリスト教の流れを本流に、騎馬民族は北方の脅威で荒くれ者の集団、バイキングは北方の海賊、ムスリムは傍流異端、アジアは野蛮な後進国、自由主義を建国の旗印にアメリカが栄え、ソ連邦の崩壊による冷戦終結を経て、歴史を先導した欧米の価値観がこれからも主流を形成するといったものと記憶しています。日本にとっては第二次世界大戦の敗戦によりアメリカ流教育が強制浸透させられたこととも深い関係性があるでしょう。歴史を違った角度から勉強したいという思いは以前からあって、時間に余裕が持てるようになってからは個人的に色々調べ物をしたりしていますが、そんな時に本書と出会いました。
昨今ではG20時代からからGゼロ時代と呼ばれ、世界の警察官たるアメリカもその余裕がなくなってきたように言われています。経済的にはアジアの時代と言われ成長の中心はこれまでの先進国から新興国にシフトしてきています。政治的には中国がロシアに取って代わってアメリカと対峙する時代を迎えつつあるようです。
著書では標題に書きましたように、アヘン戦争を分水嶺にして西洋のGDPが東洋のそれを初めて凌駕したと紹介されています。興味深いのは1600年から1820年アヘン戦争以前迄は世界のGDPの半分を中国とインドで生み出していたということです。まるで将来を暗示しているかのような数字です。アヘン戦争を挟んで、1913年の第一次世界大戦直前には中印で合わせて16.3%、第二次世界大戦後の1950年には8.7%まで落ち込みました。それまで西洋は東洋のお茶や絹、陶磁器、香辛料等が欲しく、西洋列強同士1600年代の東インド会社を巡る主導権争いを代表例に、各々の権益を固めていきます。英国は綿織物に目を付け、それが産業革命による織機の発明と相まって、綿花をインドやアメリカから買い、高い生産性でインドを綿織物輸出市場から駆逐するに至りました。こうした過程を経て英国はインドを植民地化し、アヘン(勿論アヘンだけではありませんが)を作らせ、第三国の貿易商人を使って中国に輸出し、習慣性の高いアヘンが中国に蔓延することによって結果富が英国へ流出していきました。そういった流れがGDPの数字に表れています。前述したように、決してそれまでもずっと西洋が先進的であった訳ではありません。
話は飛びますが、日本が大東亜共栄圏を打ち上げた背景は、欧米諸国の植民地支配からアジアを解放し、日本・満州・支那(中国)連合を中心に共存共栄の新たな国際秩序(今のEU連合のような)をアジアに建設しようとしたものでした。しかし、アヘンが蔓延した清のあまりの衰退ぶりに、日本と満州だけででも実現しようと軍部が前のめりに突っ走った結果が先の第二次世界大戦の敗戦に繋がります。
沢山ご紹介したい話が書いてありますが、ご興味のある方は本書を読んでいただくとして、最後に科挙の話をご紹介します。科挙という制度は中国で598年~1905年まで1300年続いた官僚登用試験ですが、これは紙と印刷の技術によって、参考書が全国に配布することが可能になったことで始まりました。科挙は儒教的教養を問うもので、平原を縦横無尽に駆け抜けモンゴル帝国を治め、外国語や商業を重んじたクビライの時代に用無しとされて中止されます。10年も20年もかけて科挙の勉強をしてきたインテリ階級は仕方なく地方に散って豪族の家庭教師になったようです。日本の官僚制度も中国を模して作られていますが、教育制度同様制度疲労を来していますね。自由であれば、色々な新しい発想が実現されていくと思います。その意味で自由のない国は突然適応不全に陥ってしまう恐れがありますね。
これに関連して主君が権力を守るには二つあると紹介されています。ひとつは官僚制、一つは貴族制です(日本も大日本帝国憲法下では貴族院がありました)。貴族制は「この領地を与えるから忠勤に励め」とロイヤリティを末代まで求めるもの。反逆はない代わりに子孫が優秀であるとは限らない。官僚制は一代限りで優秀な人材を集める。しかし優秀が故に君主に取って代わる恐れもある。日本の二院制を例に取るのは飛躍しますが、衆議院と参議院だと両院ある意味がないように思いますが、貴族院とするとその有効性があるのかなと感じます。治世ではすっかり世襲はダメ、民主主義でないとダメということになっていますが、こと経営に関しては世襲制(制度ではありませんが、結果御曹司が継ぐ等)で結果を出しているところも少なからずあります。うまく良いとこ取りでミックスできればいいのですが、現実難しいでしょうね。
歴史を大河の流れと解して色々な角度から見てみると、目の前の出来事をより冷静に見られるようになってきます。受験生時代は年号と何が起きたかの順番を覚えることで精いっぱいでしたが、ここで、なぜ、どうして、この時代にこんなことが起こったのかを考えるのが本当の(地理)歴史ですね。まだまだ興味が尽きることはありません。
(斜体が主に著書から引用した部分です。それ以外は私の主観です。)
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