京都大学霊長類研究所に松沢哲郎博士という方がおられます。画面に現れた9個の数字を0.5秒で記憶して、それを順序通り再現タッチできるというチンパンジーを映像でご覧になった方もいるのではないでしょうか。博士の研究の一端に触れる機会がありましたので、ちょっとご紹介をしたいと思います。博士はチンパンジーの知性の研究を通して、人間との比較からある特徴について仮説を立てておられますが、それが私の興味を引きました。http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/langint/staff/tetsuro_matsuzawa-j.html (昨年は文化功労者に選出されました)
人間とチンパンジーは500万年前に独自の進化の道のりを歩んだと言われていますが、98.77%のゲノムが共通であることがわかっています。冒頭の数字記憶再現タッチでは人間を遥かに凌ぐ能力をチンパンジーは持っていることが証明されました。これを博士はチンパンジーが人間とは違って、自然界を生き抜くために今ここにあるものを鋭く見極める能力が必要であったためと論じています。このチンパンジーの認知スタイルは目の前に見えているものがすべてであると捉えて、それを細かい点に至るまで観察し、記憶することに注がれていることを示しています。人間の男性と女性の記憶力の違いも良く話題にされますが、他人の部屋に通された時に、女性は瞬時に何がどこにあるか記憶するそうですが、男性は部屋の中の雰囲気は何となく感じて記憶しますが、個々の何がどこにあったかの記憶は総じて低い結果となることが知られています。明らかに興味の対象が違うからこういった差が生まれるのでしょうね。
さて、ちょっと横道に逸れてしまいましたが、チンパンジーの3倍もの脳を持つ人間は、そうした目の前の瞬時の記憶にその脳をあまり活用することなく、いったい何に使っているのでしょうか。博士はチンパンジーの認知が「今」「ここ」にあるものに集中しているのに対し、人間は常にそこにないものまで認知しようとしていると言っています。つまり時間や空間を超えて、ここにない「未来」を思い描くことができる能力を発達させてきたということです。この人間の発達した能力は見方を変えるとかなり厄介なもので、あらゆる物事の意味や背景、他との関係性など、実際には存在しないものについてあれこれ思い悩む。だから自分の発言した内容や行動したことについて後悔もするし、将来を悲観して絶望もする。しかし、これは一方でもう一つのそこにないものである「希望」を持つ能力を持っていることも意味するのではないかというのが、博士の説です。
チンパンジーと人間の違いのもうひとつは、手助けの「自発性」だそうです。チンパンジーも他者と関わろうとする社会的知性はあるそうですが、人間のように状況を自ら判断して、手を差し伸べるということはないそうです。人間社会には「自分のためになる行動」と「みんなのためになる行動」がずれていて、どういう行動をすべきか悩ましい状況に溢れていますが、人間は社会的知性を占める部分が多く、特徴的には①周りからの評価を気にする性質、②公正に扱われないと怒りを感じる性質、③みんなが協力するなら自分も協力する性質等があって、まあこれらが人間の人間たる所以とも言えるのでしょうね。ほとんどの方がこれら3つの関わりにかなりの時間が割かれているのではないでしょうか。昔は隠遁とか出家とか言われましたが、社会との関わりを絶ってひとりで自分自身に向き合う生き様に共感を持つ人も、社会が複雑化すればするほど多くなるようにも思います。週末に自然に触れ合って息吹を感じ取って気持ちを新たにするというのも人間の動物返りの束の間の一瞬なのかもしれません。私も最近山登りに結構嵌っています。
ちなみに博士は高校大学と山岳部で、大学に入った頃は学生運動が盛んで、授業が無かったことから1年120日山行、120日訓練、残った120日哲学を勉強されていたとのこと。その後、実験心理学に移り、色々な過程を経てチンパンジーの「アイ・プロジェクト」に参加されています。多くの人が人間が一番賢くて、人間よりちょっと頭の悪いのがチンパンジーだと勝手に妄想を抱いているけど、数字の記憶力なんてチンパンジーの方が遥かに優れていると博士は語っています。私が中盤で書いた男女の違いは決して、女性がチンパンジーに近いと言っているのではなくて、それぞれ能力の特長があるので、お互い仲良く協力してやっていきましょうね、っていう意味です。念のため。
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