組織と個人

大学では法学部政治学科に在籍していました。卒論は東大新人会という優秀な人材を多く輩出した組織の宮崎龍介という人物研究でした。ゼミの中ではそもそもこの団体から各界に多くの優秀な人材が輩出したのは何故なのかという課題意識からスタートしていました。当時の歴史的背景、価値観、その組織の強みや思想の基盤あるいは思考メカニズムはどうだったのかが研究テーマの底流にありました。個人研究の過程で様々な人との交わりを通じて生きてきた一人の人生をなぞり研究することは、自分の中で「人間学」そのものを勉強したなあと今でも思い返します。そしてその後私自身が社会で生きていく上での礎になったと思います。

人は一人では生きていけないですし、何らかの形で仲間を作り、お互いに影響しあい、その結果として共通の目標を持って事業を始めたり、あるいは目標は異なるもののお互い刺激しあい、異なる意見を交わしあい、思考を繰り返しながら成長していく社会的動物です。そういう意味で人間が互いに影響しあい相乗効果を上げるといった観点から組織運営というのはひとつの科学なのだと思います。一人よりは二人、二人よりは三人、三人より十人、どんどん効率が良くなっていかなければ複数(組織)でやる意味はありません。指標でよく使われる「一人あたりの~~」というのはその効果を常に意識している証です。反面、組織の構成は個人の集合体であって感情を持った人達の集まりですから、組織論やその中で如何に個々が能力を発揮するかといった研究は様々に行われていますが、一筋縄ではいかない課題ですね。同じことを二人の人が同じ表情で同じ聴衆(構成員)に言ったとしても、その人の日頃の行動、言動、それまでの実績、肩書等々によって全く説得力がなかったり、逆に感動させられたりするわけですから。

学生当時、私が最も興味を持ったのは実は社会学でした。8回の引っ越しをし、沢山の書物を処分しましたが、今でも「社会学の基礎知識」という当時の教科書はずっと書棚から処分せずにいました。いずれ時間ができたら読み返そうと思っていたので、これからじっくり読む積りです。初版発行が昭和44年ですから45年前の本です。目次に目を通すと、社会の構造や家族・経営と労働・社会心理・マスコミュニケーション・社会福祉と社会問題といった項目が並んでいますが、今の社会が抱える課題は昔からそんなに変わっていないなあと感じます。逆説的に言えば、課題は昔からあったが解決されていないということです。ことによっては悪化しているかもしれない課題もありそうです。最近某所で見つけた「実務購買管理」といった本も40年、50年も前に発行された本で、読んでみると中身の構成は本当にきちんとまとまっていて、カバー範囲も十分広義に押さえてあります。30数年間の調達購買実務から離れた後にこういった本に出会うというのはなかなか皮肉なことです。

さて、話を元に戻しますが、大きな有名な会社の社員が全て優秀で清廉潔白でないのは、世の中の事件を見ても明らかです。一方で、小企業の社員は皆凡庸で覇気がないというのも全く違います。よく蟻の実験結果が例に出されますが、蟻の集団で働くのは2割、8割は怠けている。それらをきれいに分けて、働く蟻グループと働かない蟻グループに分けて、それぞれのグループを観察すると、やはりそれぞれに2割の働く蟻と8割の働かない蟻に分かれる。つまり最初働く蟻に区分された8割がサボり、働かない蟻に区分された2割が働き出すということです。但し、最近の研究では2割の働き蟻の中には働きすぎ?で働かなくなる蟻が出現し、8割の働かない蟻の中から働き蟻が出てくるという実験結果があり、どうやら8割の予備要員がいることで長く集団を存続できるというメカニズムがありそうだということです。確かに昔、社内でコーヒーカップを持っていつもぶらぶらしている先輩がいて、皆さんに他愛もない世間話を話しかけていましたが、皆この人が仕事をしていると思ってはいませんでしたが、妙に場の雰囲気はほぐれていましたね。

取引をしていると担当者やその直属の上司、関連部門の上役等にお会いして、意見交換をし、時には激論を交わすこともあります。数万人を擁する大会社であれば、全ての人に会うことは不可能ですから、極一部のお会いした人からその会社の社格や成長性、将来性を見抜かなければなりません。また会社の仕組みが個人に過度に依存するような体制になっていないかどうかも吟味しなければなりません。ですから良い誤解、悪い誤解も含めてお会いした方々の印象から会社(組織)の信頼度を図ります。調達側も営業側も本音の話ができないか探り探り関係を深めていきますが、一方で社会的動物である人間は自社の都合の悪いことをことさら喧伝しないのが通常ですし、何でもかんでもしゃべってしまう人は却って信用置けない人に見られるでしょう。組織を守りすぎた結果、組織が社会的に壊滅に至ることもあるでしょうし、個人が暴走して組織が内部分裂したり、社会的に組織としての信頼を失い衰退することもあるでしょう。個人の能力には様々なモノがあります。蟻と違って適応力も広いはずですし、怠けて見えて実は肝心なところを押さえている上役もいます。なかなか能力は見かけではわからないものです。これまで重要であった能力が技術革新によって重要度が大幅に低下したり、これまでは重要とされていなかった能力が組織の事業変革や社会の構造変化によってクローズアップされる場合もあります。この変化を予見し、タイミングを的確に捉えて組織のTransformationを行える会社が強い組織だと思います。硬直化している組織とはたとえばBrain Stormingで決まった人ばかり悦に入ってしゃべっている、上役の目を気にして当たり障りのない意見ばかりに終始する、昔の成功定理がいつまでも続くと思っている、といったものです。そうならない環境を作ることは簡単なことではありません。たまたま現在所属している組織の業務では発揮できない得意な領域を持っている人もいるでしょう。そういった人達が所属に関係なく遠慮なしにモノが言えて、ひとつの目的に向かって協力していければ、こんなに力強いことはありません。そういった意味では個人の能力を最大限に発揮するには「共通目的の共有」と「構成員すべての個人の尊重」が基礎になくてはなりません。普段遊んで見えてる人が環境の激変に遭遇したときに素晴らしい活躍をすることも決して稀ではありません。もしこういったことが皆無であるという組織体は、人材を埋もれさせていないか、考え方が固定化していないかの再点検が必要です。

ソニーにはこういった逸話が残っています。「総務部にいたころのことです。仕事に余裕があったので、組織図があれば便利だろう…と頼まれもしないのに自主的にソニーの組織図を作ったんですよ。やっと出来上がって上司に提出した。そうしたら上司を通じて盛田さんからひどく怒られましてね、こんなものをなぜ作った。誰が今どこで何をしているかなんてものは、次の瞬間に変わる。こんな組織図なんてなんの意味も持たない、と言うんですよ。」(小澤敏雄~元ソニー・ミュージックエンタテインメント会長)。時に組織図は変化への対応の障害になるものです。特に個人がその組織に馴染もうとすればするほど、その危険度は高くなっているのかもしれません。

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