前出の「社会学の基礎知識」という大学時代の教科書を読み返そうとパラパラ頁をめくったら、一枚の新聞の切り抜きが出てきました。30数年前に買った本ですから、全てのページが茶色味を帯びていましたが、その切り抜きが挟まっていたページは新聞の型がそのまま転写し、濃茶色になっていました。そのページには「核家族化に伴う老人問題とその対策」とあり、その間から出てきた切り抜きの題名には「TVドラマ『シルバーシート』に寄せて」(役に立つ、立たないではなく、老人の過去を大事に)とあります。
TVドラマというのは、今でも鮮明に覚えていますが、鶴田浩二主演の「男たちの旅路」です。若かりし水谷豊や桃井かおりが24歳で共演していました。まだ家庭用ビデオは発売されたばかりで高価でしたから、放送時間を見逃さないようにTVの前に陣取っていたことを思い出します。脚本は山田太一で当時43歳。ちなみに鶴田浩二は52歳(今の私より4つ若いんだ!)。放送は76年から82年まで全13話とウィキペディアにありますので、全部見逃さずに見たのではないかと思います。鶴田は最初このオファーを断ったそうですが、その後山田との面会をプロデューサーに求め、特攻崩れとしての鶴田自身の経験・思いを脚本に投影してもらうことで出演をOKしたそうです(実は鶴田は整備科予備士官であり、出撃する特攻機を見送る立場であったとのことで戦友会から猛抗議を受けるが後に和解)。2003年に「同窓会」と称して水谷、桃井、山田3人が顔を揃え(鶴田は87年永眠)、思い出話を語る番組が組まれましたが、当時鶴田はリハーサルでも台本を手元に置かず、共演者の台詞も頭に入れた上で、自ら発した言葉のように台詞を滔々と言っていたと水谷、桃井が(まねをしようとしたが、メチャクチャになってしまい、とてもできないとすぐにやめたと)語っています。鶴田の自身を投影したこのドラマにかける強い想いが感じられる逸話です。
話の筋立ては、ある警備会社に勤める主人公の吉岡司令補(鶴田)が特攻隊の生き残りであり、戦争はどこから始まったのかという疑問を持ち続けて生きる彼を中心に、杉本(水谷)、島津(桃井)、鮫島(柴俊夫)、柴田(森田健作)ら若い世代と、仕事の中から拾い出した疑問に対し、時に激しくやり合いながら真面目に向き合い、出口を探す道筋を語るものです。前記の「シルバーシート」は全13話の中でも出色の出来栄えで、77年芸術祭大賞を受賞しています。この話は老人ホームの4人が車庫で車内にこもって都電ジャックする話ですが、老人から発せられる台詞ひとつひとつに胸を突かれます。「歳を取るってことがどういうことか歳を取るまでわからない」「自分を必要としてくれる人がいません」「私は人から愛情を感じることはあるが、私が人から愛情を感じられることはない」「名誉なんていうものの空しさがわかってくる」「自分の耄碌は自分ではわからない」「私ら捨てられた人間です、いずれあんたも使い捨てられるでしょう」「しかし、歳を取った人間はねぇ、あんたが若い頃に電車を動かしていた人間です」「踏切を作ったり、学校を作ったり、米を作っていた人間です」「あんたが転んだ時に起こしてくれた人間かもしれない」「しかし、もう力がなくなってしまった、じいさんになってしまった、するともう誰も敬意を表する者はいない」「歳をとりゃ誰だって衰えるよ、めざましいことはできないよ」「気の毒だとは言ってくれる、同情もしてくれる、しかし敬意を表するものは誰もいない」「人間はしてきたことで敬意を表されちゃいけないのかね」「いまは耄碌ばあさんでも、立派に何人もの子供を育ててきたということで敬意を表されちゃいけないのかね」「そういう過去を大切にしなきゃ、いったい人間の一生って何だい?」
死ぬまで役に立っている老人なんて希少であって、役に立たなくなった老人に対する姿勢、自分が役に立たない老人になった時の生き方を考えなければならない。老人を待たずして不慮の事故で体が利かなくなってしまうこともある。昨年同年代の数人が生死の境を彷徨った。幸い重篤にならずほっとしている。親介護の問題はいずれは誰しもが通る道筋であろう。世話になっているから、役に立たないからという理由で、不満も口に出さずに心を開かずに態度の良い老人を演じているというのは実に無念であるに違いない。役に立っている人間だけが何かが言える社会というのはどこかおかしい。怠けて世話をかけているのではない、かつては社会を支えてきて、今その力を失ったのである。
退職して個人事業を始め1年強、第二人生小学校2年生に進級した私は10~20数歳年上の方々とのお付き合いが増えた。80歳を目の前にして元気溌剌な方を見ると、私も心身ともに長く若くありたいと思う。退職してからはその努力を改めてしているつもりである。一方、現役の時代には一流企業の経営層でバリバリ活躍された方が、その後大病を患い体が利かなくなっている状況下でも遅々とご自身で一歩一歩を刻むように歩む姿にも接する。私の母は幸いに85歳でもコーラスのグループに参加して息子に苦労を掛けずに一人暮らしをしている。元気なうちに母の過去の苦労にもっと報いたいと心から思う。私は吉岡司令補のように、若者に説教するようなことはできない(説教というものは、本来ありがたい、教訓的なものなのだが、これがあまりに長すぎる時は説教する側が伝えたいことを要約できていないので、いつの間にか説教のはずが、小言または単なる愚痴になっているのもよくある話)。上から目線が一番嫌われる今の時代はいつの頃からであろうか。昔から若者が大人に向かって「偉らっそうに言うな」とかは言っていたが、それは不良の台詞と相場が決まっていた。いつの頃から社会全般に広まったのか、さほど昔のことではないように思う。偉い人が偉そうに言うのは当たり前と言えば当たり前。でも説教している人の多くはその人への愛情から発していることであろう。私自身戦争を経験した者ではないし、戦争を肯定するものでもないが、戦争を経験している人と戦争を知識でしか知らない人とでは決定的に違う刹那の必死さを強く感じる。
【敬称略】
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