印刷技術発展の歴史

現存する世界最古の印刷物は日本にあります。称徳天皇が政治を任せた道鏡が西暦770年に国中のお寺にお経を広めるために配布させた経典の中に入れた「陀羅尼経」です。ろくろ焼きの百万塔に木版か銅版に彫った文字を紙に刷り取ったものが6年間かけて100万巻も刷られたということです。当時飢饉や疫病の流行、戦乱による社会不安が背景にあり、これを鎮めようと仏教を活用し(鎮護国家)、全国に国分寺を建て、大仏造立の詔も出しています。この頃は遷都も数回行われており、その当時の混迷ぶりが想像されます。冒頭に紹介した「陀羅尼経」を10万巻ずつ10の国分寺に納めました。その一部が4万巻余り今に残っていて世界最古となっています。

その後の日本では300年ほど印刷という技術は全く活用されませんでした。学問は文字が読める一部の偉い人達だけのものでしたので、沢山印刷しなければならないという必要性がなかったからです。その後も日本での印刷技術は大きな発展はありません。必要なものは手で書き写せばよいということだったようで、今でも精神修養の写経は綿々と受け継がれてきています。

やっと江戸時代になって商業が盛んになり、町民たちの間でも読み書きできる人が増えてきて、商売をするのに「読み書き算盤」が必要になってきました。寺子屋で町民の子供たちが読み書きを学び、市中では「東海道中膝栗毛」などの文芸作品や浮世絵、瓦版などが登場し、漸く本格的な印刷文化の誕生を見ることができます。

元々の印刷技術は中国から6世紀に仏教と共に伝わりました。中国では紀元前2世紀には王様が御触れを出すときに粘土にハンコを押して文書を封印していました【欧米では今でも封筒や文書、高級酒などに封蝋(ふうろう)する印璽(いんじ)がありますね】。西暦105年の蔡倫による紙の発明によって、木や石に色を付けたくない部分を彫って使う版画タイプのハンコが民間に広まり、この技法が印刷の始まりと言われています。しかしながら中国に起源を持つ印刷技術が大衆に寄与するにはヨーロッパでの発展を待たねばなりませんでした。

ヨーロッパでは哲学・科学・文学関係の本が紀元前より作られていましたが、宗教色が強まっていった中世の時代になると科学の本は神の教えに反するものとして抑圧された結果普及せず(科学史上では暗黒時代と呼ばれた)、本と言えばもっぱら教会内で僧侶たちが一冊一冊書き写した聖書でした。

14~15世紀になって、イタリアを中心に産業や貿易が盛んになり、職業芸術家や商人たちが商売をするのに(日本と同様)読み書きが必要となってきます。印刷といえばグーテンベルクがまず最初に頭に浮かびますが、15世紀中ごろに始まった彼の印刷技術の発展によって思想書や技術書、そして文学作品が多くの人の手に安価で渡るようになり、ルネッサンスに繋がっていきます。つまり教会による学問の独占が崩れ、職人(今でいう技術者です)と学者が歩み寄る雰囲気が醸成された結果、一挙に科学技術が発展していきます。前者の代表があの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ、後者のそれは解剖学のヴェサリウスや鉱山学のアグリコラなどです。そしてこれも歴史の教科書では定番のマルティン・ルターが当時のカトリック教会の堕落(本来罪の許しに必要な悔い改めなしに贖宥状の購入のみによって償いが軽減された)を糾弾し、聖書に書かれていない斯様な贖宥状なるものは濫用であるとの考え方に立ち、ドイツ語で自分の考えを広めることで当時重税に苦しんでいた農民たちに大いに希望を与えました。印刷技術発展と相まって後のプロテスタントの成立という宗教改革に行き着きます。ルネッサンス時代には急速に科学技術志向が高まっていき、科学の暗黒時代から脱し、それまでの観念論主流から実験に基づく実証研究の発展により数々の偉業(天文学、磁気学、医学等)が成し遂げられました。

活字印刷技術に話を戻すと、文字の種類の多い中国では比較的製作が容易い木版が主流となり、文字数の少ないヨーロッパでは銅などを流し込んで作った金属活字が盛んに使われました。前者は版を作りやすかった反面、厚い紙に印刷することが難しかったので、薄い紙に片面印刷するにとどまっていましたが、後者は版が長持ちする上、厚い紙への印刷も比較的容易であったので、聖書に見られるように早くから両面印刷がなされています。

近代の印刷技術はやはりドイツが最先端で、1600年には新聞が発行され、1833年には1時間に6万個の活字を鋳込む「活字鋳造機」が、1846年には「輪転印刷機」が実用化され、それから10年も経たないうちに1時間に2万枚以上の新聞を刷ることが可能になりました。

日本では鎖国の影響もあり、西洋の印刷技術から大きく取り残されていましたが、新聞発行は1870年、紙幣の印刷は1881年です。現在は日本の印刷技術は世界一と言われ、外国の紙幣を受注したり、印刷機械を外国に輸出したりしています。

こうしてひとつの技術の発展の歴史を辿ってみると、技術とコンテンツ(宗教、商売、文化、情報)がお互いを後押しし、進化していることがわかります。技術は単独で一直線に進むものではなく、コンテンツと重なって大きく飛躍します。何か障害があると、その進展が止まったり、Breakthroughがあって、また大きく発展したりと。ハードとソフト(コンテンツ)は車の両輪という言葉はやはり今でも生き続けていると思います。

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