Conscious Capitalism

「世界でいちばん大切にしたい会社」コンシャス・カンパニー(翔泳社)は多くの示唆に富む好著である。ここで語られるのは、ホールフーズ・マーケットの創業CEOであるジョン・マッキー氏が自らの体験に基づき自社を「人を幸せにする経営」に変貌させていった挿話と、短期的利益重視に立った経営と長期的視点に立った経営では後者が好業績生むという数多の実例である。冒頭では、この四半世紀資本主義は正しい軌道から外れてしまい、歴史上最も富を作り出せる素晴らしい仕組みであるにも関わらず、ほとんど悪者として非難の的になってきたという認識から始まる。労働者を搾取し、消費者を騙し、金持ちばかりを優遇して貧乏人には冷たく当たって不平等を作り出し、個性を認めず、コミュニティを分断し、環境を破壊する元凶として描かれがちな資本主義。企業家や経営者は利己心と欲得で動くものとレッテルを張られ、時に罵詈雑言を浴びせかけられる存在となってしまった。筆者は「縁故資本主義」(様々な規制を政府が作り、政治とコネがあるビジネスが有利となって正当な競争が阻害されているもの)がその代表例で、その土壌の広がりが誤解を生んでいると指摘している。日本の時代劇でも越後屋と悪代官という組み合わせは定番を超えてお笑いの域まで昇華された感と言えなくもないが、世の中にその類型はまだまだ多く見られる光景なのかもしれない。昨今の習近平国家主席による政治腐敗・汚職摘発は前政治局常務委員の周永康氏にまで及んだと新聞が報じているが、内実は「ミニ文化大革命」と言われる権力闘争で、政治中枢に居座る者は皆五十歩百歩と揶揄する声も少なくない。

創業当初こそ苦難の連続ではあったが、その後順調に業績を拡大したホールフーズ・マーケットは1981年に70年ぶりと言われた大洪水に見舞われる。店は2m以上の床上浸水となり、店内の装備や在庫品は何もかも破壊されてしまい、損失額は40万ドルを超えた。自社の経営資源だけで回復できる状況にはなく、破産状態となってしまった。ジョンはわずかに残った復興心を奮い立たせ、絶望の淵から少しずつ復旧を始めたが、全く予想もしていなかった素晴らしいことが起こったのだった。何十人もの顧客や近所の人々が、作業服を着てバケツやモップを携えて、店に集まってくれたのだ。「この店を潰してたまるかい。落ち込むのはこの辺にして掃除を始めよう。さあさあ、仕事に取り掛かろう。」と手伝いをかって出てくれたのだ。ジョン等創業者や社員は抑えきれない涙を流しながらも、身体の内側からエネルギーが突然湧いてきて、希望の光を実感することができた。ジョンは「どうしてここまでしてくれるのですか?」と尋ねないわけにはいかなかった。「ホールフーズは私にとって本当に重要なんです。ホールフーズがなかったらこの町に住みたいとは思わないでしょう。それほどこの店は私の生活にとって大きな存在なのです。」という答えが返ってきた。顧客にそれほどまでに愛されていたという実感はジョンが店の再開を強く決意するのに十分であった。

手を差し伸べてくれたのは顧客だけではなかった。他のステークホルダーからも支援の申し出が沢山あった。洪水で無一文になり給料も払える状態ではなかったが、多くの社員は払えるようになるまで無給で働いてくれた。何十社ものサプライヤーがツケで商品を置いてくれた。投資家もホールフーズを信じて追加投資をしてくれた。銀行から追加融資が受けられたので、在庫を新たに積むこともできた。こういった多くのステークホルダーの後押しを得て、ホールフーズは幸運にも洪水後わずか28日で店を再開することができた。もしステークホルダーが一丸となってホールフーズにあれほどの思いやりを示してくれなかったら、一体どうなっていただろう。今日110億ドルの売り上げを計上するまでに成長したホールフーズは30数年前に間違いなく潰れていただろう。

筆者はこの状況を「ステークホルダーの統合」という言葉で表現している。ステークホルダーとは言うまでもなく、ビジネスに影響を及ぼし、あるいはビジネスから影響を受けるあらゆる関係者のことである。「意識の高い会社」(Concious Company)はステークホルダーの一人一人が重要で互いに繋がり依存しあって、ステークホルダー全員の価値の最適化を目指すものである。全員が共有目的(企業の存在目的)とコアヴァリューによって動機づけられており、もし主要ステークホルダー間に紛争が起きて、誰かが得をすると誰かが損をするというトレードオフの関係ができそうになると、Concious Companyは人間の創造性に関する無限の力を発揮して「Winの6乗」の解決法を創り出して紛争を乗り越え、互いに依存しあうステークホルダー間の利害調整を図ることができる。

実際のビジネス社会ではステークホルダー間の利害関係は複雑だ。あちらを立てればこちらが立たずというトレードオフばかりだ。私もそういった多くの問題に直面して、打開策というよりは妥協策を模索していたひとりである。ちなみにJAL再建に力を発揮した稲盛氏は「トレードオフ」という言葉を禁句とした。京セラ時代からとのことであるが、その意味が本書を読んでわかったような気がする。品質と価格はトレードオフとかいうが、それを言ったらInnovationは生まれない。両方を満足するからこそ、これまでにない商品やサービスの差別化ができて、結果として顧客に受け入れられ、社会に貢献することができる。身近な例で言えば、掃除機の吸引力と騒音。これを両方満足する為に多くの技術者が課題に取り組んでいることであろう。吸引力を上げると騒音はうるさくなるトレードオフ関係ですと言った途端にinnovationは絶対起こらない。

いっとき企業の目的は株主価値の最大化だと言われた。企業によっては長期的投資を渋り、期間利益の最大化を達成し、一般従業員の何百倍もの報酬を期間経営者が得て去ったのち、その企業が低迷迷走した例は少なくない。株主はステークホルダーの重要な一員であるが、他全てのステークホルダーがサーバントになるのは明らかに間違っている。売上や利益といった数字が目的化すると知恵が出てこなくなるものだ。数字を前にして妙案を挙げた人を私は見たことがない。揺るぎない共有目的があればこそ、その達成に向けてステークホルダーの全員が何とかしたいと知恵を絞るものであろう。人は数字のみで心を動かされることはない。Concious Capitalism(意識の高い資本主義)とはあらゆるステークホルダーにとっての幸福と、金銭、知性、物質、環境、社会、文化、情緒、道徳、そして人間の尊厳を同時に創り出すような、進化を続けるビジネス・パラダイムのことである。

本来の(自由競争)資本主義はわずか200年の間に、①世界の85%の極貧(1日1ドル未満)を16%にまで激減させた。②1800年初頭に10億人を超えた人口は今日70億人を超えたが、これは公衆衛生・医療・農業の生産性の拡大が大きく寄与している。③一度に数百万人の命を奪う疫病から人々を救い、平均寿命は30歳から68歳まで伸びた。④この40年間で栄養失調者割合は26%から13%へ半減した。この傾向が続けば21世紀中に飢餓がなくなると言われている。⑤極一部のエリートしか読み書きできなかったが、今日識字率は84%である。⑥わずか120年前には民主主義国家でさえ女性や少数民族には参政権がなかったが、今は53%を超える。⑦1910年にアメリカで高卒の学歴を持つ人の割合はわずか9%だったが、現在はおよそ85%。そして25歳以上の40%以上が大卒以上の学歴を持っている等々の成果を上げてきた。

本来の資本主義を取り戻すというConcious Capitalismが脚光を浴びてきたのは、こういった歴史的社会変化と無縁ではないだろう。資本家と労働者が対立関係にあった時代においては、資本・知識・情報・社会参加などの観点で圧倒的な格差があった。しかし(自由競争)資本主義と民主主義の下、多くの人々が教育の機会を得て、IT革命による情報へのアクセス自由度が増大し、肉体的苦痛や精神的緊縛から解放され、心の安寧を得ることできた。資本家と労働者といった対立概念は一部の抑圧地域を除けば、すっかり昔のものとなった。以前よりもはるかに複雑な事柄を理解し、これに対応できる人々が多くなってきているのだ。個人が投資家であり、生産者であり、消費者の時代である。争奪による自分だけの幸せを希求しても決して長期的な安寧を得ることはできない。金銭は現代社会において生きる上での必要条件ではあるが、人生の喜びを感じさせてくれる十分条件ではない。Concious Capitalismは、多くの人々の幸せが、自分のそして家族や友人の幸せに帰することを理解してきた人々の増加によってもたらされた福音とも言えるニューパラダイムなのではないだろうか。

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