暑い夏が続いていますね。去年は鰻の稚魚が激減して、蒲焼の値段が高いという理由に加え、そんなに減っているのであれば、鰻だけが食べ物ではないしということで土用の丑の日にも遠慮して食べるのを控えました。今年は稚魚が豊漁で卸値も2割ほど安いと聞いていましたので、遠慮せずに何回かいただきました。食べるとやはり美味しいですし、あの口全体に広がるふわふわ感と香ばしい香りは、間違いなく幸福感を運んできてくれます。あくまで気分の持ち様なのでしょうけれど、元気になったような気もします。
しかし、残念ながら世界の科学者らで組織する「国際自然保護連合(IUCN)」は今年6月、絶滅の恐れがある野生生物を指定する最新版の「レッドリスト」にニホンウナギを加えました。法的な拘束力はありませんが、資源量が回復しなければ輸出入が規制され、将来更なる取引価格の上昇を招く可能性があるとのことです。指定の理由は生息地が減少したことや過剰な捕獲、環境汚染や海流の変化も考慮した結果であるという説明です。ニホンウナギは東アジアに広く分布する回遊魚です。回遊魚は、地球環境レベルで海流や水温が変化すると、それに伴ってエサとなるプランクトンの発生状況が変わり、その魚にとって良い条件が揃っている時は爆発的に増え、状況が悪ければあまり増えないという特性を持っています。この変化は周期的に変動することが知られており、マグロやカツオ、それにアジやイワシなども該当します。確かに昔は今年は豊漁で家計に優しいとか、不漁だったので消費者の手には届かない高値になったとかニュースで報道されていましたね。最近は日本食ブームというやや嬉しい傾向が、先進国のみならず経済的に豊かになってきた新興国でも起こりました。寿司に代表される生魚の需要が大いに高まり、それを満たそうとする乱獲に拍車をかけてしまったこともあり、これらの規制が必要になってきたのは無理からぬことです。
クロマグロの漁獲規制論議も記憶に新しいですが、「中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)」が昨年12月、各国は2014年の未成魚の漁獲量を2002~04年の実績に比べ15%以上減らすことで合意しています。もうひとつの団体である「北太平洋におけるまぐろ類及びまぐろ類似種に関する国際科学委員会(ISC)」は、現在の規制や管理措置が完全に実施されたとしても回復は期待できないとして、更なる漁獲量削減の必要性を指摘しています。
捕鯨問題も日本にとっては難題続きですが、こちらは資源としての側面に加え、「知的生物だから食すべきではない」「太古からの食文化としての正当性」など文化・環境保護観点からは言うに及ばず、政治・宗教的色彩も帯びて日本は劣勢に立たされっぱなしです。ノルウェーはIWCの捕鯨禁止令を1993年以降守っていません。独自の数量制限を設定して商業捕鯨を続けていますが、それでもミンククジラは増えているとして禁止令を無視し、自国の正当性を主張し続けています。データ精度が十分確保されているのであれば、個人的にはこの選択もありだと思います。知的生物だから云々の話は別のところでしてほしいですね。牛や豚はバカだから食べてもいいという理由はないですよね。食べない理由は宗教的な背景も含めて個人の自由として認められて当然ですが、食べるなという理屈は感染など人体への害を除けば、これを強制する説得性を持ちえないのではないかと思います。
いずれにせよ、食す人達、捕獲により生計を立てる人達、自然保護を主張する人達の全ては「水産資源が無くなったら困る」人達ですから、その共通目的を共有しえる関係です。その意思を持って合意形成に努力していただきたいものです。先月末に日経新聞電子版が行ったアンケートによると、ニホンウナギの漁獲制限に95%の人が仕方ないと理解を示し、78%の人が輸出入の禁止など国際的な取引規制の対象にすることに賛同しています。将来にわたって水産資源を次世代に継承していくことは現世代の責務です。多くの人がそこに理解を示していますから、密猟や抜け駆けを許さず、共通目的の下で地球規模での管理体制実現を求めたいと思います。
一方で技術進歩の進展もあります。近畿大学のクロマグロ完全養殖成功といった朗報もありましたし、実はニホンウナギの完全養殖も4年前に独立行政法人水産総合研究センターによって成功しています。あと3年で実用化したいと意欲をのぞかせています。こういった地道な水産技術の進展、関係者の皆さんの努力に拍手拍手ですが、それを盾に乱獲解禁とならないような人類の自制心を期待したいものです。
持続可能性(Sustainability)という言葉は、もともと水産資源を如何に減らさずに最大の漁獲量を得続けるかという「水産資源における資源評価」という分野の専門用語であったそうです。今では様々な分野でこのSustainabilityという言葉が使われるようになり、化石燃料に代わる再生エネルギーの開発や、金属のリサイクル等でもその考え方が浸透しています。原発の核廃棄物処理を例に取ると、埋める以外の解決案が無いまま進めるというのは、将来世代へのツケ、問題先送りという無責任なことですから、全く恥ずかしい限りであると私は思います。今後の技術革新による解決を勿論期待していますが、事実上もんじゅの核燃料サイクル計画は破綻してしまいましたから、原発政策の一時凍結は止む無しと思います。
遡ること16世紀の大航海時代にヨーロッパ諸国が植民地政策と称して略奪していった資源は数限りなくあります。まだ地球の全貌がわからず、果てしなく続く海原の先には黄金郷があると信じられていた時代です。未開の地に黄金や香辛料を求め、天然資源を安く貪り、労働力としての奴隷を売買し、他国に後れを取ってはなるまいと自国のみの繁栄を求めていった時代です。今やグローバルの時代となり、周りの環境から全く隔離して自国・自地域・自分だけが繁栄することはできません。大航海時代に一攫千金を求めて新大陸を目指した冒険者たちは、一方では数々の伝染病を持ち帰ることにもなりました。植民地時代から始まる森林伐採は、それまで密林という自然体系の中で密かに生息していたウィルスを世界中に撒き散らしてしまいました。人はこれまで好奇心と欲望の名のもとで多くのパンドラの箱を開け、その都度対策を講じてきました。今でも新たなるパンドラの箱を探す旅を続けていますし、将来開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまうかもしれません。
地球における生命の誕生は約40億年前に遡りますが、このプロセスを100年に短縮して火星を人間の住める惑星にするテラフォーミング(http:下記)という計画があることを最近知りました。人間の創造性の無限の広がりと欲望の果てしなさ、そして生命共存という賢明さはどこでどう鼎立するのか、永遠にしないのか私の想像力を遥かに超えているのでわかりませんが、飽くなき挑戦を止めることは誰にもできないというFreedomが現世の活力を生んでいることは否定できません。
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