国民の義務と権利

中学校で憲法に定められた「日本国民の三大義務」を教わります。①保護する子女に教育を受けさせる義務(小中学校教育)、②勤労の義務、③納税の義務の3つです。教わって以降、普段疑問に思ったり、気にしたりすることはありませんでしたが、最初の海外赴任から帰国した91年7月後半、①について面を食らうことがありました。3人の学童期の子供がいましたが、もう一学期を数日しか残していないある日に区役所に転入届を出しに行った時のことです。親としては夏休み期間中に3年ぶりに帰国した日本に慣れてもらってから、二学期から登校すればいいという呑気な気持ちでいました。区役所の窓口では「子供には教育を受ける権利があります。明日から学校へ登校させてください。」と強い口調で言うのです。義務教育を受けさせるのは親の義務であり、子供の権利であるいうことですが、親として子供にしかるべきアイドリング期間を設けてスムースな日本の学校への導入を図るのが、親としての務めであるとの考えは今でも変わっていません。ショッキングな出来事として一生忘れえないお役所の対応でした(今はもう少し柔軟な運用が図られていることを願います)。

文科省が昨年発表した義務教育期間における不登校は11万9617人で、前年比7000人増加だそうです。小学生はさすがに0.36%と低いですが、思春期の中学生ともなると2.69%、つまり1クラスに1人は不登校の生徒がいる勘定になります。ついひと月ちょっと前に起きた川崎の中学一年生殺人死体遺棄事件では、なぜ最悪の事態を防げなかったのかと識者が色々議論していますが、本当にケアが必要である子供たちに親は勿論のこと、学校も行政も周辺の大人ももっと注力すべきであるということに関しては誰も異論はないのではないかと思います。彼らこそ本当に保護されなければならない対象です。

②勤労や③納税についてですが、私は32年間一つの会社に勤めるサラリーマンだったですから、天引きで税金をボーナスを含め毎月きちんと納めていました。ここ2年は個人事業主としての収入を確定申告して税金を納めるようになりました。そこから考えると、サラリーマンの場合は②と③がセットであると考えられます。一方で、働いていない国民も多いですよね(働く必要のない人、働きたくても何らかの事情で働けない人、全く働く気のない人等)。投資をして稼いでいる人は勤労しているのでしょうか?ニュアンス的には勤労って感じはしないですよね。辞書には「勤労とは、心身を労して仕事にはげむこと、賃金をもらって一定の仕事に従事すること」とあります。どうやら勤労の義務とは社会主義的な考え方から発しているようです。1936年に制定されたソビエト社会主義共和国連邦憲法は先祖や親の財産を相続して地代や家賃、利子収入で生活することを否定し、総プロレタリアート(労働者)化を図るために作られました。その影響を現憲法は受けているという見解があります。憲法を良く読み込んでみると、第27条には「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とあります。つまり勤労を国民の義務とするとともに、国家に対して国民が勤労の権利を行使できるように義務を課したとも言えます。不況期の失業対策などは国家の義務の現れの一つと言えるでしょう。

③納税に関してはアメリカで13回確定申告をした経験のある私からすると、日本の一般のサラリーマンの源泉徴収・年末調整の仕組みは徴税する側からはほぼ完璧なシステムと言えるでしょう。一方、納税者側からは毎月の納税額はどのように決まっているのか、年末の調整金額はどのようなロジックで決定されているのか、良くわからないまま国民の義務を果たしていることになります。言い方を変えるとお上の言うがままに納税をしている、納めているというより取られて(盗られて?)いる感じ。確定申告は自分で計算することで、どういうロジックで納税額が決まっていくかが理解できる点で重要な作業です。それに加えて自分が主体的に納めたという意識が高まります。当然使い方にも関心が高まります。

源泉徴収制度というのは事業者が納税者に代わって国に納税するので、納税者は事業者に不服申し立てはできますが、国に直接不服を申し立てることはできません。これは1970年の最高裁判所の判例があります。ひどい判例ですが、1992年には一層それを強固なものにするような判例が出されています。憲法で国民の義務としておきながら、事業者からの訴えしか認めませんというのは全くおかしな話です。一方で、法的に保護されている方々を除いて、簡単に言えば賢く?脱税している方々を放置しておくことは納税を義務としている国家としては看過できないはずですから、国の威信をかけて徴収を徹底していただきたいと切に思います。でなければ真面目なサラリーマンは浮かばれません。

アメリカの合衆国憲法は国民の義務について規定はありません。しかし、アメリカの市民権を得るためには、次の宣誓をしなければなりません。1)アメリカ合衆国憲法への忠誠の誓い(以前保持した外国への忠誠放棄)、2)国内外の敵からアメリカ合衆国憲法を守る誓い、3)法律が定めた場合、兵役に従事する約束、4)国家の大事の際に、法律が定めた市民としての義務を果たす約束。

イギリスは憲法として法典化されていない所謂「不文憲法」国家ですが、同様にイギリス市民には「エリザベス女王陛下、法に則った陛下の世子および継承者に対して誠実であり、真の忠誠義務を負うことを誓います」という「宣誓」と、「連合王国に忠義を捧げ、誠実に国法を遵守し、イギリス市民としての義務と責任を果たします」との「誓約」が義務づけられています。

日本国民の権利は実は随分沢山認められているのですが、その前提となるのは、上述の英米に見られるA「国家への忠誠」とB「国防の義務」であると私は思います。権利と義務はセットで語られるべきで、義務のない権利はあり得ません。今、参政権を18歳に引き下げようという議論があります。今の20歳代を筆頭に若年になればなるほど、投票率は低いのが実態です。国民の義務と権利をきちんと学ぶ場がないことがこの無関心となって現れているのではないかと危惧します。18歳引き下げ議論と国民の義務権利意識の高揚を並行して行うべきと考えます。その意味で、憲法に記載するか否かは別にして、AとBを承服できないのであれば、以下の権利を行使する資格はないと思いますが、皆さんは如何お考えでしょうか?

日本国民の権利:差別されない平等権、精神・身体・経済活動の自由権、生存権・教育権・労働基本権などの社会権、国家賠償請求・裁判を受ける権利・刑事補償請求などの請求権、選挙権・被選挙権・国民審査・特別法制定・憲法改正などの参政権

 

コメント