「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」とクラウゼヴィッツは、その著書「戦争論」(1832年出版)の中で「戦争とは何か」を近代における戦争の本質に迫る形で理論立てて表現した。この著書が名著と謂われる所以は、それまで「いかにして戦争に勝つか」ばかりを論じていた軍事学において、初めて戦争という事象を国民国家との関わりで論じた点にある。
猛暑が続く日本は今年終戦70年の節目を迎え、今、参議院では安全保障関連法案の審議が行われている。TV各局は恒例とも言える第二次世界大戦を中心に色々な角度から特集を組んで放映する。8月6日の広島へのウラン型原子爆弾投下、8月9日の長崎へのプルトニウム型原子爆弾投下、そして8月15日の終戦に至る過去の戦争の反省をもとに、将来の禍根を絶つことの重要性は今もこれからにおいてもいささかも揺るがない。誰しも戦争を望んでいる訳ではない。戦争を起こさないこと、戦争に巻き込まれないことの手段や方法論を論じているという意味において、議会で論戦を張っている政府もどの党も会派も同舟であると信じたい。
過去の出来事を反省の材料にすることは同意であるが、過度に過去に拘泥してしまうのも将来を見誤ると感じる。子供心に「第三次世界大戦はいつ起こるか」なんていう今思えば不遜な話題の種にした記憶がある。単純に2度あることは3度あるの延長線の発想でしかなかったが、人間の愚かさを思えばリアリティのある話でもあった。大人になるにつれ、世界は様々な過去の反省のもとに第三次世界大戦が起こる確率は少ないと思うようになった。しかし再度、第一次世界大戦を思い起こせば、小国セルビアの某グループが引き起こした事件が世界大戦の引き金になってしまったことはまさに経験したことである。戦争の可能性は確率論で安易に片づけられるものではなく、起きるか起きないかのゼロイチであり、大地震に巻き込まれるか巻き込まれないかの個人の運不運と現象面では似ている。しかし、大きく異なるのは前者は人智で抑えられる脅威であるのに対して、後者は人智を超えた大自然の猛威であるということであろう。
世界最古の戦争は、紀元前4000年ごろの遺跡から「良く乾燥させた粘土球」が大量に見つかったシリアで起こったとの見方がある。南メソポタミアの都市国家ウルクが北部のハモウルカを侵攻して陥落させたと米シカゴ大学東洋研究所の調査隊が推測している。個人同士の殺し合いはそれこそ人類発祥の頃から小競り合いの結果としてあったと思われるが、戦争の定義を「人間の集団が別の集団に殺意を持っておこなう組織的な行動」とするならば、都市国家の始まりと共に戦争が始まったとする説は説得力を持つ。日本では弥生時代から戦争が始まったという説が有力のようである。鏃が刺さったり刀傷のある人骨が、弥生時代にかなり大量に発見されているというのがその理由である。しかし、それが戦争によるものか事故によるものかは想像の域を出ない。
おそらく古代から長らく武器の主役にあったのは「石つぶて」であろう。最も原始的ではあるが、手近にあり、威力があり、射程も大きく、接近戦を避けられるので戦(いくさ)の初期段階においては有効な武器であったと推察される。石つぶては子供の時に腕力がない子がジャイアンのような子供に対抗する最終手段であった。非常に危険であったので、子供のころから「石を投げてはいけません!!」と母親に強く教育されたものである。
戦国時代の武田方の武将小山田信茂が三方ヶ原の戦いで投石隊を率いたとする逸話が残っているが、鉄砲が徐々に武器として取り入れられる時代になっても刀傷よりは石つぶてによる死者が多かったとの文献がある。攻撃と自衛を総合的に考えれば、刀より槍、槍より石つぶて、石つぶてより弓矢、弓矢より鉄砲という順で戦闘化されていったことであろう。時代劇でよく見られる帯刀した武士が肩で風を切って闊歩したのは、あくまで安寧な江戸時代に丸腰の農民や商人相手だったからである。
しかし、弓矢以降の武器はそれを作る技術、使う技術が一段と求められる。鉄砲もその入手経路、製造技術、使う腕前がなくては効果的な武器とは言えない。屋島の戦いで、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした弓矢の名手・那須与一や、石山合戦で信長を大いに悩ませたといわれる鉄砲軍団雑賀衆はそれぞれの時代の武器を極めた戦争のエキスパートであったと言えよう。
時代はぐっと近代に寄るが、第一次世界大戦以前では陸においては砲兵・歩兵・騎兵を使った戦術と守りにおける塹壕掘り、海では軍艦の登場が戦術に変化をもたらした。その後、射程と連射速度が上がったライフルの登場で騎兵は姿を消し、守りは砲弾や手榴弾からのダメージを最小限にとどめるべく曲がりくねった塹壕線を延々とつくることが最新の戦術となった。さらに機関銃の登場により、お互いの戦線は塹壕に釘づけとなり戦争が長期化することとなった。今度はその塹壕線を打破するために戦車が登場する。
第二次世界大戦では飛行機が登場して、空爆技術が発達した。それまでの前線における戦いから敵国の主要インフラや工場を殲滅する戦術に変化していくことになる。海においては強力な主砲と高度な弾道計算を有す戦艦の登場で、「軍艦の数という量」から「強力戦艦という質」への転換が図られる。つまり前線での消耗戦から飛行機による制空権の争いへと変化していくわけである。その後は空と海の戦術を合体させた空母の登場で、図体が大きいだけの戦艦は無用の長物となっていってしまう(戦艦武蔵は被弾に9時間耐えたが、その後、戦術を検討したアメリカ軍の左舷集中攻撃によって戦艦大和は2時間足らずで沈没した)。
第二次世界大戦後は資本主義と共産主義が対峙する冷戦時代に入り、軍事大国は核兵器をせっせと作ったものの人類を破滅させるに充分な最終兵器を扱いしかねる状況になり、軍縮の動きも始まった(SALT~Strategic Arms Limitation TalksやSTART~Strategic Arms Reduction Treaty)。一方、この時期には電子技術が進歩し、衛星・無人偵察機・レーダーごと空に飛ばす早期警戒機などの導入により、戦時に得られる情報が飛躍的に増大した。軍の仕事は情報収集と膨大な情報分析にシフトしていく。攻撃面では一度ロックオンしさえすれば目標に向かって突き進む誘導兵器やミサイルが圧倒的な優位性を持つ時代となった。
ソ連邦の崩壊により冷戦が終わると国家の管理下にあった武器が拡散してしまい、軍事力を誇示するしか能力がない小国やテロリスト・テロ国家が新たな脅威となった。テロリストとなるともはやクラウゼヴィッツが言った「戦争とは政治の延長である」という論理が通じない相手となってしまう。時計が逆回転するように、孫子の兵法「いかに戦に勝つか」の時代に戻っていってしまうのであろうか。技術の進歩により遠隔テロが行われるような時代になれば、迎撃ミサイルやレーダー、そして即応性のある管理体制が健全な国家には求められる。155か国以上が批准している生物兵器禁止条約もテロリスト・テロ国家への拘束力はない。ハッキングも大きな脅威で、先月トルコに駐在しているドイツ軍の保有していたパトリオットミサイルシステムが何者かのハッキング攻撃を受けて、ミサイルシステムが一時制御不能に陥ったというニュースが配信されている。昨年末には韓国水力原子力発電がハッキングを受けて原子力発電所の図面などの内部文書がTwitter上にアップされる事件があった。制御系にはアクセスされていないと当局は述べているが、活断層や津波といった日本の原発安全性議論とは別の角度で安全性への不安は募る。
「ドローンが攻撃し、ロボット兵士が応戦する」ような戦場では技術者とゲーマーが鉄砲軍団雑賀衆宜しくもてはやされる時代が来るのかもしれない。安保法制反対派が口走る「徴兵制復活」「戦場に若者を行かせるな!」などの心配は無用である。テクノロジーの進歩がそれを必要としなくなっているのである。武力行使の新3要件にある「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」からどのように国民を守るのか、その守り方は過去の反省ばかりにあるのではなく、将来のテクノロジーの進化を見据える視点がなければならない。怖いのは変化に目をつぶりイデオロギーに凝り固まって思考停止に陥ることである。
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