文明の衝突と21世紀の日本

標題はハーバード大学政治学教授サミュエル・ハンチントンが2000年に発刊した書籍である。それに先立つこと1993年に冷戦終結以後は「文明の衝突」の時代となると雑誌『フォーリン・アフェアーズ』で発表し話題をさらった。1998年の日本での講演に基づいて標題の書籍が刊行されたわけである。1989年にベルリンの壁が崩壊し、年末のマルタ島でのブッシュ・ゴルバチョフ会談によって冷戦の終結が宣言され、翌年の東西ドイツ統一、その翌年にはソ連邦が解体された後、多くの西側諸国が民主主義と自由経済の勝利に酔っていた頃のことである。

ハンチントンの教え子であったフランシス・フクヤマも1989年に「歴史の終わり」を発表し、民主主義と自由経済の勝利、そして民主主義は普遍的かつ恒久的なイデオロギーであり、もはや独裁や帝国に戻るような可逆性はないと論じた。それに呼応したかのように引き合いに出されるハンチントンの「文明の衝突」であるが、その中の「歴史は終わらない」という文言だけが取り上げられ、反論めいた論文のように分析するきらいもあるが、それは本筋ではない。
その後の世界の動向はイスラム(主に急進派)と西欧の衝突という形に代表されるような状況が出現し、まさにハンチントンが喝破したような情勢となり、フクヤマの「歴史の終わり」は一挙に影を潜めてしまった感があるが、今回改めて標題の本を読み直してみた。

標題の「文明の衝突と21世紀の日本」に関しては、やはり日本及びその周辺への記述に注目が集まるところである。ハンチントンは現存する文明を中華、インド、イスラム、日本、東方正教会、西欧、ラテンアメリカ、アフリカの8つに分類し、日本文明に関しては他の文明が複数国で構成されているのに対し、日本文明は日本一国で成り立っている孤立国文明であると定義付けた。
このことは日本がこれまで、第一次世界大戦前は大国イギリスとの日英同盟を、第二次世界大戦前は強大化した独伊と、そして敗戦後はアメリカ占領という他律的ではあるが日米同盟という、一貫して「バンドワゴニング」(大国に追随する戦略)策を取ってきたことと符合すると解説している。文明を共有している国々は仲間集めをして「バランシング」(勢力の均衡を維持する戦略)策を取ることが選択肢としてあることと、日本のそれを対比している。

その筆は、アジアにおいて勢力を増してきた中国に対して、いずれ日本は同様の「バンドワゴンニング」政策をとる可能性が高いとしている。この論旨には多くの日本人が賛同しないであろう。日本にとって世界中で最も折り合いが悪い中国に日本が追随するなんてことがあるわけないと。
将来、日中の連携があるとすれば、中国の体制変革が前提となろう。中国4000年の歴史からすれば、中華人民共和国という一党独裁共産主義体制は高々66年でしかない。フクヤマの歴史観からすれば、「歴史世界」(民主化を達成していない国)はいずれ民主化を経て、「脱歴史世界」(イデオロギー闘争、政治的抑圧、政治的不平等からの解放)に至るはずである。

ハンチントンの言うように日本文明は特殊で仲間が作れないというのであれば、日本文明を発信して日本文明に取り込んでしまえばいい。昨年日本を訪れた2000万人の訪日客のうち半数以上が中華系(中国、台湾、香港)であり、日本のレストランのサービスやトイレの清潔さに驚嘆しきりであった。そういった訪日客が本国へ帰り、その素晴らしさを伝え、レストランやトイレが日本を見習えとばかりに見違えるようになってきていると(まだ一部であろうが)聞く。
ハンチントンの理論からすれば、イデオロギーより文明の共通価値が高くなるということは東西ドイツの統一と同様、いずれ中台や韓国・北朝鮮の統一も、その可能性に現実味を与える。日中連携があるとしても中台や朝鮮などの同一文明同士が統一されたその後となろう。

一方、現在の日本の立ち位置を見ると、体制的には軍事同盟を基盤にして西欧に組み込まれている。特にアメリカとは切っても切れない関係である。しかし、アメリカの将来の動向によっては、自国の「バンドワゴンニング」政策に影響が出てくるであろう。近々では大統領選挙の動向には目が離せない。選挙権の無い身としてはまともな大統領が選出されることを切に願うのみである。過去、世界の警察を自任したアメリカのおせっかいによって、混乱をもたらされた国や地域は少なくない。アメリカが悪魔呼ばわりすればするほど、国内では人気が出てしまうという現象もいくつも見てきた(カストロ、ミロシェビッチ、フセイン)。世界帝国がありえない以上、超大国アメリカと言えども、世界が多文化からなることを認識しなければならない。自国の価値観で世界中を塗り替えることなどできないことに、多くの戦費と犠牲を払った結果、やっと気付き始めている。アメリカの歴史はコロンブスから始まるのではなく、ネイティブ・アメリカンから始まって、白人の侵略を経て、今に至っているという歴史観を持つべきなのである。

こうして考えてくると、友好国アメリカにも隣国中国にも働きかけを行い、日本文明の中でも共有化されうる価値観を世界に発信する日本の役割は「孤立国」と言われるほど、決して小さいものではない。

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