Hiroshima Girls

被爆地・広島は今日、68回目の原爆忌を迎えました。恥ずかしながら昨夕のTVで私は初めて「Hiroshima Girls」なる存在を知りました。1945年8月6日8時15分、広島に原爆が投下され顔や首や腕にケロイドや身体障害を負った少女25人が、その10年後の1955(昭和30)年5月5日、山口県の米軍岩国基地から、一機の輸送機に乗ってニューヨークへ飛び立ちました。これは米国人ジャーナリストであるノーマン・カズンズ氏らの呼びかけで彼女らに米国で最先端の医療を受けてもらう為に実現したものでした。

TVで紹介されていた笹森恵子(しげこ)さんはその一人で、皮膚移植など回復手術を何十回と受けられたそうですが、首や唇にはその痛々しい痕が残っています。笹森さんは後年ノーマン・カズンズ氏の申し出を受けて養女になる決断をし、米国で教育を受け、お子さんも授かり、看護師の仕事の傍ら、世界各地で英語による被爆体験証言活動を続け、命の大切さや平和を伝える活動に取り組んでいるそうです。

25名のHiroshima Girlsは皆さん高齢になられて既に亡くなった方も少なくないと聞いていますが、突然の想像を絶する被爆という不幸に見舞われ、一方で原爆投下した当事国アメリカのジャーナリストに手を差し伸べられて、その自らの人生を生き抜いて来られたという数奇な事実に複雑な思いが過ります。今年になって日本へ帰国されたと聞いています。

同じ過ちを繰り返してはならない事は言うまでもありませんが、人間が過ちを犯すことも逃れようのない歴史の事実です。過ちそれ自体も加害者と被害者の立場によって不可避であった、いや回避できたと意見が異なる場合もあるでしょう。過ちを劣化させることなく伝えていくこと、そして少しでも過ちと感じたならば、その罪をどういう形で償うのか、そしてそれぞれの運命と向き合い、最後には人の過ちを許せるか。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は孔子の記した『孔叢子』刑論の「古之聴訟者、悪其意、不悪其人」から来ていますが、キリストの教えである聖書(ヨハネ福音書8章)にも「Hate not the person but the vice」とあります。時間は掛かることでしょうが、解かり合う道は決して暗黒ではないと信じます。

話はちょっと飛びますが、高倉健が擦り切れるほど読み込んだと言われる座右の書「男としての人生――山本周五郎のヒーローたち」(木村久邇典著、グラフ社)の中に
『ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら
ーここまではゆるすがここから先はゆるせないということがあれば
それは初めからゆるしてはいないのだ』という一節があるそうです。

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