トルコ共和国の首都イスタンブールはエキゾチックで魅力的な街である。1978年に庄野真代の楽曲で「飛んでイスタンブール」が大ヒットした。その頃は単に異国の地というイメージだけであったが、50歳を過ぎるころから、最も訪れてみたい場所になっていた。地理的には西にヨーロッパが拡がり、東にはアジアが拡がる。その間を隔てるのがボスポラス海峡。海峡の南はマルマラ海、北が黒海で天然の港を擁している。まさに東西の十字路であり、ユーラシア大陸とヨーロッパ大陸のつなぎ目に位置する。
人口は東京都をしのぐ1400万人。歴史的にも世界の大都市として位置付けられてきた。古代ギリシャ時代には紀元前の王の名を取ってビュザンティオンと呼ばれていたとされるイスタンブールは、ローマ帝国においてコンスタンティヌス1世が首都をローマから遷都し、自らの名を取ってコンスタンティノープルと名付けた。以降およそ900年の間は、キリスト教発展の要であり、ローマ帝国(330-395)時代には人口30~40万人を有す世界一の大都市であった。ビザンティン帝国(395-1204, 1261-1453)、ラテン帝国(1204-1261)時代の間でも世界の5指に入る有数の都市であり、様々な民族の商人が行き交っていたものと思う。
1453年にメフメト2世率いるオスマン帝国がこの街を征服し、イスタンブールと改称され、ムスリムを移住させるなどの政策によりイスラム都市化が進められた。また、ヨーロッパから商人を招き入れるなどして商業にも力を入れて、世界一の国際的大商業都市に成長していった(70万人)。オスマン帝国時代の統治はイスラム教国家の君主であるにも関わらず、ユダヤ教やキリスト教を迫害することなく新都に住まわせ、多くの歴史的建造物も破壊することなく、現在に至る多文化都市を形成するに至っている。
ビザンティン建築として有名なアヤソフィアは、その代表例である。350年頃に正統派キリスト教の大聖堂として建設され、ラテン帝国支配下においてはローマ・カトリック教徒の大聖堂とされていた素晴らしい教会である。オスマン帝国支配下になってからは、モスクの象徴であるミナレット4本が増築され、約500年間はモスクとして使われていた。モスクへの改修に際しては、聖母子像やキリスト教の絵画・モザイク画を漆喰で覆い隠し、「唯一神アッラー」や「預言者ムハンマド」を表すアラビア文字を装飾化して描かせている。 偶像崇拝を禁じるイスラム教国家の君主であるメフメト2世が、見事な建築物であるアヤソフィアの破壊を望まず、現代に引き継いでいるその精神の高邁さは称賛に価する。
1935年の博物館化に際しては、カトリックとイスラムの間で「返せ・返さない」の綱引きがあったということを耳にしたが、結局は聖母子像を覆っていた漆喰を取り除き、聖母子像と唯一神アッラーが隣り合わせで並ぶ異色の博物館が造られることとなった。この博物館は宗教の共存を象徴したものとして毎年200万人もの観光客を集めている。
イスタンブールの歴史は、キリスト教とイスラム教とが、互いの文化を征服しながらも、存在を認め合うことで生き続けてきた場所であり、現代世界の宗教対立や二極化対立に対して、異文化あるいは異質性の共存の一つの型として見ることができるのではないだろうか。
第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国は解体され、1923年国父ケマル・アタテュルクによってトルコ共和国が建国された。アタティルクは憲法で(宗教的保守主義ではなく)世俗主義を標榜し、政教分離・近代化政策を採る国づくりを進めた。その結果、イスラムの香りを色濃く残しつつもヨーロッパ的な自由を感じさせるコスモポリタン都市へとイスタンブールは変貌を遂げた。しかし残念なことに、現政権のエルドアン大統領は3期目に入ったころから反政府勢力に圧力を掛け始め、SNSへのアクセスを遮断したり、個人のインターネット閲覧記録の収集などを合法化している。イスラム教育の制度化も志向しており、自由を謳歌してきた若年層を中心に反発が広がっている。イスラム圏を異質と見るEUは、トルコのEU加盟申請を11年間に渡り棚上げしており、エルドアン大統領のイスラム強化政策によって全く目途が立たないという状況となっている(EUそのものの維持も困難な状況がちらちら見え始めてきてはいるが)。
昨年7月にはクーデター未遂事件が発生し、その直後にエルドアン大統領は非常事態を宣言し、今年に入ってもそれを再延長している。市民への弾圧や、相次ぐテロによる外国人旅行客激減で経済は停滞しており、昨年7~9月のGDPは7年ぶりのマイナスとなった。それを反映してトルコリラ安(3ヶ月で20%以上)も止まらない状況が続く。
ケインズはその著書で「経済政策によって(政治的)価値観の対立を棚上げできる」と述べている。つまり、財政政策や金融政策の発動により所得再分配が行われ、(政治)価値中立的な「経済成長」を享受することで価値観の衝突を回避するという考え方である。アベノミクスにしても、成長の減速が続く中国にしても、トランプ新大統領の政策にしても、このケインズの理論を背負っているかのようである。経済が停滞すると対立が表面化する。それを回避するために経済政策を打って取りあえずの緩衝材とする。その結果、多くの国が財政赤字に陥り、手詰まりになっている指導者が政権から降ろされる事態となっている。新しい指導者はいっとき民衆の期待を過大に背負い登場する。しかし、市民の自由を縛る政策、民間の活力を生かせない政策、他国を圧力で制し自国にのみ利益を引き寄せようとする政策は今や機能しない。「有無相通」という言葉がある。一方にあって他方にないものを互いに融通し合ってうまくいくようにするという意味である。いよいよドナルド・トランプ氏が米大統領に就任するが、果たして前代未聞の政策の行く末はどういうことになるのだろうか。
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