世界の潮流と労働分配率の低下

「2017 エデルマン・トラストバロメーター」なる記事を目にした。第17回とあるので、2001年から始まったものと推測する。調査対象は世界28か国、知識層(各国の同世代と比較して、世帯収入が上位25%、メディアに日常的に触れ、ビジネスに関するニュースに関心を持っている層)と一般層に分けてデータ分析を行っている。

日本人の特徴は、「昨年に引き続き、将来に対して最も悲観的な国民」であること。自分と家族の経済的な見通しについて、5年後の状況が良くなっていると答えた割合は、知識層で31%、一般層で17%と28か国中最低である。知識層と一般層の差14ポイントは昨年の4ポイントより大幅に拡大している。もっとも知識層の楽観的割合が19%から31%に上昇している半面、一般層では15%から17%と僅かしか上昇していないので、世界的に言われているいわゆる二極化の表れと言えそうだ。日本人は悲観的なゆえに、将来に備え貯蓄をしたり、社会変化に対応すべくスキルを磨いたりしながら、知恵を絞ってオイルショックや構造不況を乗り越えてきた。
楽観的な国としてはインドネシアが1位(9割ほど)、インドが3位。これらの国はこれから経済成長の恩恵に与れるという実感を伴った感覚と言えそうだ。一方、2位のコロンビア、4位のブラジル、6位のメキシコ、7位のアルゼンチンなどは根っからの楽観的な国民性が反映したものと思われる。
グローバルでみた知識層と一般層の差も見逃せない。20ポイント差があるのはスペイン、ポーランド、フランス。以下、イギリス、アメリカと続く。欧州の保護主義台頭や、Brexit、トランプ大統領誕生の背景にこういった格差の意識があることは明らかであろう。日本にもこの影響が少なからず出ている印象を筆者は持っている。
それを裏付ける数字がこの調査にも表れている。日本において、「事実はさほど重要ではない」「たとえ真実を誇張しているとしても、私と私の家族にとって良いことをしてくれると信頼できる政治家を信頼する」と答えた人は5人に2人。
自分が信じていない見解を支持する情報を無視する人は無視しない人の4倍。3人に2人の人は自分と意見が合わない情報を遮断し、自分の見解を変えない。
年代を追って新聞を読む人が減り、ネット情報に頼る人が増えてきている。そういう人は自分が興味のある記事にしか目がいかない。新聞も1紙では偏りが見られるので、2紙以上読むという人は極極限られた人であろう(これもネット情報だが、「紙の新聞を1紙だけでなく、2紙以上読んでいる」という人は年収500万円台では6.3%、1500万円以上では32.1%)
組織に対する信頼度もグローバルで見て低下傾向で、NGO/NPO、企業、メディア、政府どれをとっても半数の人は信用していない。特にメディアの昨年比5ポイント低下は注目すべきで、組織や機関の情報に信頼を置く人37%に対して、個々の人々の情報に信頼を置く人63%。玉石混交と言われる発信者不明のネット情報を信用する人の割合は非常に大きい実態が数値で表された格好である。SNSは今後も勢いを増していく存在であろう。日本は28か国中23位、3人に2人はメディアを信用していないわけで、非常に低い数字である。グローバルで見てもメディアの信頼度後退は大きな問題で、ジャーナリズム復活を期待したいところである。
さらに深刻なのはCEOに対する信頼度で、日本は28か国中最下位、18%の人しか信用していない。東芝粉飾決算に代表される不透明な会計処理や、その弁解がましい対応が影響していると言える。CEOの信頼度No.1はインドで、なんと70%の人が非常に信頼できると答えている。グーグルやマイクロソフトなど世界を代表するテクノロジー企業のCEOにインド人経営者が名を連ねている自負がその結果に表れていると言えそうである。ここまでが、トラスト・バロメーターで気になったデータの紹介である。

さて、話は少し変わるが、最近目にしたデータで「労働分配率」が一貫して低下しているという事実である。1977年当時、仏日独英米の順で労働分配率は高く、フランスの80%~アメリカの68%といった幅であった。それが2011年にはイギリス70%~日本60%と平均で10ポイント下がっている。日本のそれは15ポイント下落し、下落幅が他国と比べて最も大きい。労働組合を中心に、最近は政府に至るまで企業に対して労働分配率を上げるよう圧力を加えている。私はその理由として、特に製造現場における労働が機械化・ロボット化によって合理化された結果として、労働分配率が下がり続けているのではないかと推測している。日本企業の内部留保の高さは外部から様々な形で指摘されているところではあるが、企業が溜め込んでいるのは、将来への不安と投資の判断が出来ないという2点であり、労働者に配分したくないと決めているわけではないと思う(最もサービス残業などの側面で労働分配率が低いと感じる部分は少なくないとは思われる)。他国の労働分配率の低下も機械化による側面はあると思うが、日本との比較において相対的には移民による賃金の低下が大きな理由ではないだろうか。

いずれにせよ、AI・ロボットの台頭は止めることのできない経済合理性による行動である。明らかに生産性が上がり、品質が均一向上することは間違いない。しかし、そこからあぶれた労働者を雇用する新産業の育成は容易ではないし、労働者の教育訓練も簡単にはいかない。つまり社会コストの増大を招くわけである。ことによったら企業の自動化推進を妨げる政策への政治的圧力が増すかもしれない。
安価な労働力はが溢れている国で、大勢の労働者が最低賃金でもいいから雇ってくれと列をつくっているのに倉庫を自動化するか?という問いには、経済性からは明らかに自動化するという答えになる。なぜなら既に他国で導入済みであり、ソフトウェアは1本も100本もコストはそう変わらない、複製するだけだ。そして労働品質は均一化され、昼夜なく働くロボットには時間制限もない。そのうち、政治的圧力によりロボットにも労働規制が掛けられるかもしれない。ロボットの生み出す労働価値に課税するかもしれない。密造酒よろしく、隠れてロボットを使う経営者が出てくるかも知れない。世の中、かなり厄介な段階にまで来てしまったようだ。
人手不足で話題の物流業界も、トラックの運転手には個々の指示をしなければならないが、自動運転システムであれば際限なく複製できる。
企業は従業員という側面からさらにスリム化を進めていくだろう。ICTの進展に伴いアウトソースもさらに進み、企業はコア人材だけになってしまうかもしれない。突き詰めていけば、起業するか、企業にプロジェクトごと、あるいはパートタイム的に請われるだけのスキルを持つ人材でなければ、政府に雇用を乞う側の立場になってしまうことになるだろうと、悲観的な日本人の筆者は思ってしまうのである。

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