浄土宗・浄土真宗

私は新潟の出身で、菩提寺は新潟市内にある善導寺というお寺である。2007年に新潟市は政令指定都市になり、現住所は中央区となっているが、私が幼少の時は「西堀通」と呼ばれていたところに、その善導寺はある。さらに昔は「寺町」と呼ばれ、明治5年に「西堀」となり、名前の由来であるお堀は昭和35年に国体が開かれた時に埋め立てられて、名称も「西堀通」と改められた。昔「寺町」と呼ばれただけあって、この通り沿いにはお寺が多い。1番町から11番町まで約1500mの間に大小43の寺院が存在する。昨年ブラタモリの撮影ロケが行われて、タモリ出没に市内はざわついたと聞いている。
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いっとき、身内の不幸が重なり、ここ数年善導寺を何度も訪れた。改めて宗派を確認すると善導寺は浄土宗のお寺である。子供の時に聞いた記憶があるが、いつしか浄土宗だったか浄土真宗だったか記憶が定かでなくなってしまっていた。多くの日本人は宗教意識がなく、お寺には葬儀とお盆の墓参りくらい、新年は神社、結婚式は教会でもいささかの違和感も感じない。妻とは同郷の出身であり、その実家の菩提寺も西堀通にある勝楽寺というところである。ここも近年不幸があり初めて訪問した。ここは浄土真宗(大谷派)のお寺であり、お坊さんに合わせて、配られた正信偈(しょうしんげ)を声明(しょうみょう)するという初めての体験をした。善導寺にせよ、勝楽寺にせよ、唱えていることの意味は分からない。南無阿弥陀仏だけが共通である。幸いにして我家に宗教戦争は無い。

浄土宗は法然上人が、浄土真宗は親鸞聖人が開宗したと学校で学んだ。親鸞は法然を生涯、師と仰いでいたので、浄土往生を説く教えとしては直系の宗派と言える。
世界の歴史を振り返ってみると、宗教と国家権力は結びつきやすいという事例を多く目にする。民衆をまとめ上げる手段として宗教を利用することは少なくない。しかし一方で、国家権力を危うくするものとして宗教を弾圧することもある。四世紀にキリスト教はローマ帝国の国教だったし、東方教会は東ローマ帝国という後ろ盾があった。西方教会(カトリック教会)は世俗的な支援を失い、存亡の危機とまでいえるほど不安定な状況になったこともある。日本でも織田信長はイエズス会を庇護し、豊臣秀吉は、勢力拡大したキリスト教に憂慮し、宣教を禁止した。

話を元に戻すと法然以前の仏教では、顕密の修行・難行を通じて、煩悩を滅し仏に近づき悟りを開く道が正行とされたが、法然は自身を含めた凡夫には、その難行は耐え難く、もっぱら南無阿弥陀仏を唱えて極楽浄土を願う「専修念仏」を易行として説いた。背景には11世紀から社会に広がった末法の世と無縁ではない。摂関政治が衰え院政が蔓延り、法然自身が学んだ天台宗も腐敗していった時代である。法然は日本の仏教史上初めて一般女性に広く布教した僧としても知られている。地方の武士や将来に不安を抱える中央貴族にも浄土宗は広まり、仏教の大衆化に寄与したと言えよう。

しかし、比叡山天台宗の僧徒は専修念仏の広がりに危機感を覚え、念仏の停止を迫って蜂起、これを味方につけようとした後鳥羽上皇により、1207年念仏停止の断が下された。国家権力との関係を断っていた法然は還俗させられ74歳にして讃岐に流罪となった。流罪は10か月と短いものであったためか、現在の四国は浄土宗・浄土真宗も多いが、他県との比較においては圧倒的に天台宗・真言宗系が多い。お遍路で有名は四国四十八ヶ所はほとんどが真言宗です。
一方、親鸞も法然と同様に越後に流罪となっている。親鸞この時34歳。4年後の赦免以降の親鸞の動向は確かな記録が残っていない。しかし、しばらくは越後に留まって布教に努めていたと言われている。新潟において浄土宗・浄土真宗の信徒や寺院が非常に多いことは、その証左と考えられる(ちなみに浄土真宗は親鸞の死後、門弟たちによって開宗されたので、親鸞自身は浄土真宗を広めたという認識はない)。ちなみに親鸞は比叡山天台宗と決別した後、日本仏教史上初めて肉食妻帯を宣言したことでも知られる。当時高貴な流人には身の回りの世話をする女性の同伴が許されており、越後の恵信尼(後妻)との間に6人、前妻との間に1人、合計7人の子供を授かっている。

親鸞の教えの根本となっているのが「悪人正機説」であるが、ここで言う「悪人」とは、窃盗や殺人を犯すような悪人という意味ではなく、「煩悩だらけの凡夫」という意味である。そして親鸞は、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼からすれば、全ての人は悪人であって、善人などいない。善人は、その真実の姿に気づかない悪人であると説いている。阿弥陀仏の救いの対象は煩悩に翻弄される凡夫であり、人間すべてであると捉えているところの正直さが、当時の多くの衆生を惹きつけ、今でも日本仏教最大の信徒を抱える宗派なのであろうと思う。葬式仏教と揶揄される現代ではあるが、現在でも教義にとらわれず、多くの日本人の心に今でも宿るものなのであろうと思う。

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