富の偏在性を見る指標にジニ係数がある。ローレンツ曲線をもとに、1936年にイタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案されたものである。それによると日本は1981年0.349から一貫して上昇し、2014年0.570まで上がっている。ジニ係数とは、1人が全ての所得を独占した場合は1。完全平等社会であれば0となる。一般にジニ係数の社会騒乱多発の警戒ラインは0.4とされており、これを理由に日本は格差社会だと喧伝する向きもあるが、それは正しくない。日本は資本主義国家の中でも社会主義的な国家運営をしており、かなりの所得再配分が行われている。再配分所得によるジニ係数は1981年0.314、2014年0.376と前述の0.4を下回っており、自由経済の結果による偏在を政策によって是正してきているのである。OECD加盟国30ヶ国中、日本は貧困率がメキシコ、トルコ、アメリカに次ぐ4番目に高いというデータも持ち出されるが、再配分前の相対貧困率の比較であり、必ずしも生活実態を反映しているものとは言いがたい。ちなみに新興国の貧困率は1日1.25ドル未満という絶対貧困率で表しており、相対貧困率とは全く異質のものである。日本で絶対貧困率に相当する1日150円未満の所得しかない人は、端的に言えば働いていない人であって、選択的失業という存在である。日本の最低賃金は、高い東京で907円、もっとも安い沖縄や高知などでは693円、全国を平均すると798円。事情があって働けない人を除けば、日本で絶対貧困は起き得ない。
日本での相対貧困率はここ数年16%(6人に1人が貧困)前後で推移しており、平成に入ってから3ポイントほど上昇しているが、最近になって急激に増えているわけではない。2015年のデータでは可処分所得中央値が年245万円、その半分が貧困線と言われ年122万円。つまり月10万円の生活である。感覚的に言っても厳しい家計のやりくりが想像される。特に片親家庭では50%の相対貧困率であり、これは大きな課題と認識しなければならないと思う。しかし、その数値も1997年の63%よりは改善をしている。必ずしも相関があるわけではないが、生活保護受給者は1997年90万人から、2015年212万人と倍増している。中には疑惑の目に晒されている受給者もいるが、それは極一部であろう。
まず日本の格差問題の実態を概観したわけであるが、世界に目を転じてみると、ブランコ・ミラノヴィックという経済学者が作成した「象のチャート」はグローバリゼーションによる所得変化をわかりやすく切り出している。
https://voxeu.org/article/greatest-reshuffle-individual-incomes-industrial-revolution
1988~2008年の20年間の間に、グローバル社会でビジネス的成功を収めた一握りの超富裕層Cグループは所得を大きく伸ばし(世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じ)、中国やインドなどの新興国の人たちAグループも所得を大きく伸ばしている。伸びが鈍化しているのが、先進国のミドル・クラスBグループで、これは主に製造拠点が先進国から新興国にシフトした結果であると考えられている。違う観点から言えば、グローバリゼーションによって、国家間の格差は縮まったが、国家内の格差は拡大したとも言えよう。
さらにこれを歴史的に遡ってみると、サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリが次のように分析している。
農業の始まりによって、小麦などを貯える術を得て、人間はその日暮らしからの脱皮を実現し、余剰の富が生まれるようになった。エリート層(いわゆる賢い連中)は、それを収奪して豊かになっていった。そして、その富が権力を生み、権力が富を生む社会構造を創っていった。
収奪が限界値にまで近づくと、生産者は生存できなくなるので、収奪構造はいずれ限界を迎えることとなる。この連鎖を止める方法は、過去の歴史からみれば、戦争、革命、疫病、飢饉の4つであると筆者は言う。
しかし、後者2つは文明の発展によって現代において発生しなくなってきた。限界に行くのを抑える存在が、政治である。ゆえに民主主義が必要であると私は思う(独裁主義には前者2つが待ち受けている)。貧困層が大多数になれば、民主主義が機能する限り、その民意が政治を動かすはずである。民主主義国家ではそれが曲がりなりにも機能してきた。しかし、その結果、多くの国で財政赤字が累積している(いわゆる選挙民へのバラマキ、本質的問題解決の先送り、子孫への負担増)
それでも格差拡大が止まらないのは、自由経済が正常に機能している結果であり、トマ・ピケティが言うところの「資産が生み出す富は、労働が生み出す富を上回る」の結果なのかもしれない。しかし、昨今話題にされている格差問題の本質論は、⓵格差は拡大したとは言っても多くの国では貧困層が生存できないほどのものではないこと、⓶各国の政治が機能(所得の再分配)していることの2つから出発すべきではないか。決して隣の芝生が青く見えるといった感情論から出発すべきではない。⓶が機能していない国では内戦、飢饉、貧困が蔓延っている。これこそが問題の本質である。
グローバル社会とは、ヒト、モノ、カネ、情報の移動が国境を越えて頻繁になっている時代のことである。ある国で起きた問題はすぐに世界に広がる時代であるということである。麻薬の流入、感染症の拡散、難民移動などの問題はグローバル社会で解決していかなければならない。課税額の捕捉もグローバルで対応していかなければならないという動きが漸くかかってきた。いくら保護主義を主張しても、これらの往来は止められない社会になっている。途上国の貧困撲滅、衛生改善、環境保全などへの協力はグローバルレベルで欠かせないし、安定持続的な経済成長には、援助を通じた不均衡の解消が必要である。それが豊かな国(人)が貧しい国(人)を助ける理由である。
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