台北紀行

まだまだ暑い日が続いていますね。言い訳になりますが、暑さのせいですっかりブログの更新をさぼってしまいました。早く涼しくなって外へも繰り出したいですね。

今月の初週に台北を訪れました。出張では何十回となく訪問した台北ですが、観光する機会はほとんどなく、それまでは故宮博物館と北投温泉くらいしか行っていませんでした。

今回は3泊4日。一番の目的は私が社会に出たての頃に以降の生き方・考え方に影響を与えてくれた(私の中の)3聖人のうちのお一方に10年ぶりにお会いする為でした(他のお一方は私が駐米中に鬼籍に、もうお一方はご健在)。御年77歳になられるこの方からは自由奔放に生きるエネルギーを教えていただきました。今でも私以上にお元気で、10年の歳月を経てまたまたエネルギーを注入していただくことと相成りました。鬼籍に入られた方からはダンディズムを、そしてもうお一方からは論理的な思考を教えていただきました。いずれの方も私に教授したという意識はなかろうかと思いますが、若かりし頃の私が社会を生き抜いていく上で掛買いのない財産を勝手に頂戴したものであります。私自身成長していく過程で以降人生の基本的な教えをいただく方にお会いすることはなくなりましたが、若かりし頃にこういった方々にお会いしたことは紛れもなく今の私の存在を確かなものにしてくれています。感謝感謝です。

台北に滞在中、圓山大飯店、孔子廟、科学教育館、国民革命忠烈祠、228和平公園、龍山寺、中正紀念堂、淡水、象山、総統府、国父紀念館などを回りました。街々にあるお寺には常に参拝客が大勢訪れていて、その信仰心の高さに驚きました。地下鉄では博愛席というSiver Seatには空いていても若者は座りませんし、お年寄りにもすぐに席を譲ってあげていました。儒教の精神はきちんと受け継がれています。孫文(中国では孫中山)や蒋介石(台湾では蒋中正)の存在はあの銅像ほどの大きさがあるかどうかはともかく、少なくとも孫文の悪口を言う人には私は会ったことがありません。中華民国の建国の父の威厳はいささかも損なわれていることはありませんでした。(ちなみに私の卒論は孫文の辛亥革命を日本で支援した宮崎滔天の息子で、のちに各方面に多くの人材を輩出した東大新人会に所属した宮崎龍介という人の人物研究でした。宮崎龍介は1927年蒋介石と日中連携を意図して会談しています。)

国民革命忠烈祠は、誤解を恐れずに言うとすれば日本でいうところの靖国神社みたいなものです。辛亥革命を始めとする中華民国建国および革命、抗日戦争などにおいて戦没した英霊を祀る祠で、文烈士祠、武烈士祠約40万人余りが祀られています。実は安倍総理は3年前にここを訪れています。その当時は馬英九総統は総統府で歓迎レセプションを催し、中でも唯一忠烈祠に祀られている日本人の山田良政(辛亥革命に協力した日本人で1900年10月に清に捕えられ殺害された最初の日本人とされる)について安倍(当時元)総理は説明を受けたと報道されています。今回、私はそういった施設を訪れてそれぞれの国を、一部にはアジアの将来を想って英霊となった皆様に合掌してきました。

当時のアジア各国の知識人達は西欧列強にアジア分割植民地化されるという強烈な危機意識の中にいたと思います。孫文は1924年神戸で日本に対して大アジア主義の主張を呼びかけたことも、一方で日本政府内における欧米列強への対抗策が北進論・南進論であり、最終的には大東亜共栄圏という形に集結されていったことも、根っこは同じところにあったと思います(今回訪問した総統府内部見学では吉田松陰から井上毅までその思想が受け継がれたと流暢な日本語で説明された)。それぞれの人達の想いとは違った形で第二次世界大戦敗戦を日本は迎えます。勿論私は戦争を肯定する立場ではありませんし、歴史の事実は大事です。それにもまして、何が人を突き動かしたかが問題の本質であると私は思っています。これからも歴史を顧みつつ、将来がより良い未来となるように、今はぶつかり合って牽制し合っている東アジア諸国が前を向いて進んでいけないものかとの思いを新たにした台北訪問でした。

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