2018年7月6日、麻原彰晃を含め、オウム真理教幹部7人の死刑が執行された。同月26日には残りの6人も執行され、一連の事件で死刑が確定した計13人全員の死刑が執行された。平成時代の事件は平成時代で終息させるという行政の考え方が反映されたかどうかわからないし、これにより被害者の心が安寧になったかといえば、そういったことでもないだろう。しかし、一連の事件で29人が死亡(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)し、負傷者が6000人を超える日本犯罪史において最悪の凶悪事件はひとつの節目を迎えたことになる。
これらの死刑執行に対して、テレビ各局はワイドショー宜しく執行の度に逐次報道し、新聞各社は死刑廃止が世界の潮流と称して「文化人」のコメントに大きく紙面を割いた。死刑制度に対しては賛否両論あるのは当然であろう。人が人を裁き命を奪うというのは許されることなのか。それは戦場で人を殺すのは国際法によって免罪されていることと同次元の話ではないものの、正当防衛は許されて、正当防衛できなかった被害者はしょうがないと割り切ることは、普通の人間の感覚を有していればできることではないだろう。
人権活動団体のアムネスティ・インターナショナルによると、106カ国がすべての犯罪において死刑を廃止し、142カ国が法律上あるいは事実上、死刑を廃止していると報告している。これをして死刑廃止は世界の潮流だと喧伝する向きもあるが、人口の多いトップ10カ国(中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ナイジェリア、バングラデシュ、ロシア、日本)において、完全に死刑制度を廃止している国は一カ国もない。ブラジルとロシアは事実上の死刑制度廃止国と勘定されているであろうが、ブラジルは1979年に平時における死刑を廃止しているが、戦時下の軍部の重大犯罪には死刑が適用できるようになっている。ロシアは1997年に死刑一時停止措置が定められたが、その解除をすべきだという議論が上がってきており、国民の62%が死刑制度復活に賛成している。もっとも反体制ジャーナリストが100人以上射殺・毒殺・暗殺される国で、死刑廃止云々はあまりに表面的すぎる議論と言わねばならないだろう。結局のところ人口比では死刑制度を維持し、死刑執行している国の人口は世界において多数派なのである。
EUは死刑廃止で一致している組織である。1982年には平時の死刑の廃止を規定する第6議定書を採択、2002年には第13議定書で「戦時を含むすべての状況における死刑の完全廃止」を規定している。EU基本権憲章には、「何人も死刑に処されてはならない」との規定があり、現時点でEU加盟28カ国はすべて死刑を廃止している上、死刑廃止はEUの加盟条件となっている。
EUにおける死刑を支持できない理由は明確である。「いかなる罪を犯したとしても、すべての人間には生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵である。人権の尊重は、犯罪者を含めあらゆる人に当てはまる」という考え方である。さらに死刑制度の欠陥を記すと「不可逆性:検察官や裁判官、陪審員、さらには既決囚を赦免できる政治家であっても、絶対に間違いを犯さないとは言い切れない」いわゆる冤罪といった過ちを完全に回避する唯一の方法は「死刑を廃止すること」という結論である。
つい先月2日に、ローマ法王フランシスコは死刑制度に関する声明を出し、全面的に反対する方針を明らかにした。ローマ・カトリック教会はこれまで、ごくまれに死刑が容認されるケースがあるとしていたが、一切認めない立場に変更したことになる。法王は極めて深刻な犯罪を行った者にも人間の尊厳はあるとして「死刑は人間の尊厳への攻撃だ」と指摘、世界から死刑制度が廃絶されるよう働きかけていくとも表明した。
一方、イスラム教国はほとんどが政教一致である。イスラム教徒にとってはコーランこそが全てであり、全ての価値観、全ての行動規範がコーランにある。イスラム教を中心としている国々ではコーランを基本とした刑法典を定めている。これがシャリア法といわれるものであり、そこには明確に死刑を定めている。コーランで定めている重罪は殺人罪、強盗罪、窃盗罪、姦淫罪、姦淫偽証罪の5つである。このうち殺人罪と強盗罪は死刑判決が可能である。
仏教はどうであろうか。仏教と死刑制度の関係性を語るのは難しい。殺生をしてはいけないのだから、殺人も死刑も賛成できるはずがない。仏教国はほとんどが政教分離であり、国の定めと仏教の教えが対立することはないと考える他ない。そもそも仏教とは己の悟りが境地なのであって、世俗の迷いの世界を超えているので、議論にもなるまい。
日本の死刑制度は以下の罪により人を死に至らしめた場合には死刑判決が可能である。放火、爆発物破裂、住居侵入、汽車転覆、毒物混入、強盗、強制性交、組織犯罪、人質による強要、ハイジャック、航空機墜落、海賊行為。かなり広範に規定してある。日本における死刑執行は2017年4人、2018年は既に13人。アムネスティによると中国は4桁、イラン・サウジアラビア・イラクが3桁、パキスタン・エジプト・ソマリア・アメリカ・ヨルダンが2桁、北朝鮮やベトナムはデータがない。世界的は不名誉と言える2桁死刑執行となったが、人数が問題ではない。事件そのものが問題だと考えるべきではないか。死刑判決・死刑執行せずに済めばなんと素晴らしいことか。誰も戦争を望んでいないように、誰も死刑制度を望んではいない。
EU加盟国は冒頭の死刑執行を受けて「同じ価値観を持つ日本には、引き続き死刑制度の廃止を求めていく」との声明を発表した。しかし、日本人は欧州と全ての価値観を共有しているわけではない。
日本における死刑制度廃止の賛成意見には、⓵死刑は残虐かつ非人道的な刑罰であり、法の名による殺人に他ならない、⓶死刑が犯罪を防止する効果を持つという証拠はない。実際、死刑を廃止した 国で犯罪が急増したという例はない。殺人を犯す前に「自分が死刑になる可能性を考えた死刑囚はほとんどいなかった」というデータもある、⓷遺族感情の重視は、私的制裁の禁止を原則とする近代法の理念に反する。刑罰は 復讐のためにあるのではない、⓸先進国に限れば、死刑制度を実施しているのは日本とアメリカだけ(アメリカは州単位で制定)である。
さらに、「アサハラの死は、支持者には殉教と映り、新たな指導者を生みかねない」「自殺願望の者が殺人によって死刑を願望する、すなわち死刑の存在が犯罪を誘発することがある」(大阪教育大付属池田小学校における児童大量殺傷事件など)などといった意見もある。
しかし、私は今の段階では「死刑制度を廃止するのが妥当である」といった意見には組しない側の人間である。明らかに現行犯的に凶悪犯罪を繰り返し、罪のない人を殺め、のうのうと世間で生きている人間を到底許すことができない心の狭い人間である。国民の8割が死刑を容認している日本は果たして本当に世界の潮流から遅れているのであろうか。
コメント
果たして死刑廃止は正しいのか?
死刑廃止を考える人間は甘く尻が青いように見える。
人間はその者が考える程きれいな生き物ではない。
犯罪者が全て罪悪感を抱いてるとは限らない。
中には殺人を犯し繰り返す内に罪に対する罪悪感と恐怖が薄れ人としての感覚を失い当たり前のように繰り返してしまう者がいるし、いくら犯罪は駄目だと正論で諭しても馬の耳に念仏犬に論語で聞く耳を持たない者もいる。
死刑廃止派に問うもし貴方の大事な身内や親友、恋人が凶悪犯罪者に無惨かつ無慈悲に殺されたら、その者を割り切って許せるのか?
人間は聡明な者でも理屈と理論でも簡単には割り切れない。
現に死刑廃止派だった弁護士は妻が殺されて死刑賛成(もしくは維持)に転換しました。
矢鱈に死刑廃止を唱える者は大事な者が凶悪犯罪に巻き込まれた事がないからそう言えるのだ。
被害者の遺族がどんなに断腸の思いを抱いてるのか考えた事があるのか?
命が大事なのは分かるが凶悪犯罪者によって殺された被害者の命も大事だったはずだ。
上記に書かれてる死刑廃止派の弁護士がどんなに理屈を捏ねても美辞麗句を並べてるに過ぎない。
人は誰かの犠牲なしでは世の中は動かない。
犠牲なしで全てを命を守るなど絵に描いた餅であり青臭い子供も理屈だ。
冤罪で死刑になったのは事実かもしれないが問題だったのは死刑制度ではなく、それを扱った人間である。
法や制度など良い事が書かれようとも所詮物でしかない。
物は扱う物の良し悪しによって良いものになったり悪いものにもなります。
良法になるのも悪法になるのも扱う人間次第だ。
死刑制度が野蛮なのはそれを扱う者に問題があるからだ。
死刑廃止派が死刑は科学的根拠で凶悪犯罪の抑止力にはならないとか言うが本当にそうなのか疑わしい。
そう言う考えは一部の例でしかなく全体的なものではない。
どうせ廃止派が正当化するために自分たちにとって都合の良い事だけを載せたのでしょう。
多くの人権団体にはよく見られるやり方だ。
私は虐殺や冤罪を着せられる事が嫌いだが死刑廃止は愚行だと思います。
心の広い狭いは関係なく、罪悪感なく凶悪犯罪を犯しのうのうと生きる犯罪者を野放し同然に生かし、やり場のない怒りを抱き歯軋りする遺族の気持ちを無視する死刑廃止派は被害者を見殺し同然にした凶悪犯罪者の共犯者でしかない。
もし被害者遺族の怒りが頂点に達しその加害者を仇と言わんばかりに殺してしまったらどうするのか
死刑ならぬ私刑を犯してしまいます。
それを起こした例は少なくありません。
人間は極限に不安定になると鬼のようにとんでもない事を起こします。
結局死刑廃止は犯罪を増やしかねず、それこそ抑止力にもならない
現実を見ない理想論など当てになりません。
現在死刑廃止する国は増えてますがいずれ後悔します。
世の中の仕組みは聖書で書かれるようなきれいなものではない。
いずれ復活するかもしれないし復活論が大きくなるかもしれない。
今のところ上と人権団体はそれを血眼になって抑えてるけどそれは大きくなりつつあり、いずれ抑えるのに限界がきます。
人権は綺麗事で片付けられるほど甘くはないし単純ではない。
死刑廃止などいらぬ情けである。
アクア八幡さん、御意見ありがとうございます。死刑制度に対する並々ならぬ信念をお持ちとお見受けしました。
思考回路はどうあれ結論としては私もアクア八幡さんのご意見に同意します。
私は調達購買コンサルタントをしていますので、その中で「交渉」という行為は切っても切れません。
その意味で自分の考え方と異なる考え方、なぜこちらの意見に賛同できないのか、その理由を考えるのが癖になっています。
そしてどのようにしたら利害が対立する相手と「同意」ではなく「合意」できるのかを探る頭のトレーニングの意図をもってこのブログを書いています。
また気になるブログがありましたら、御意見を賜りたいと存じます。