ブルー・オーシャン戦略

先月、「ブルー・オーシャン戦略」(以下BO戦略)の著者のひとり、INSEAD教授であるチャン・キム氏の講演を聴く機会を得た。「BO戦略」は2005年に刊行され、ベストセラーとなったが、競争の激しい既存市場「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」(以下RO)から、競争のない未開拓市場である「BO(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだとする経営戦略は、当時米国から帰国し、競争の真っただ中にいた当時の私には、ある種の「絵空事」のように聞こえ、本書を手にすることは無かった。とはいえ、世界360万部、44カ国語に翻訳された世界的ベストセラーである本書の内容は表面的ではあるが、把握しているつもりでいた。
最近になって、「競争しない」という概念がいくつかの著書において、クローズアップされてきている。フェイスブックを初期から支えたピーター・ティール(テスラ、ユーチューブ、リンクトインなどの名だたる起業家を輩出したペイパルの伝説的共同創業者)は、トランプ大統領の政策アドバイザーを務め、「競争をしない唯一無二を目指す」という信念でDisruptive(破壊的)Innovationを起こしてきた事業家兼投資家である。「ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか」では、ゼロからビジネスを創り出す偉大さは、1から100にするコピー的事業とは歴然として異なると自らの価値観と重ね合わせて主張する。ZOZOの前澤友作社長は「競争市場における、価格は限界費用まで下落するベルトラン競争では、自分で自分の首をしめるだけ」、ビジネスポリシーは「競争せずに楽しみながら社会の役に立つこと」とシンプルかつピュアな言葉でインタビューに応えている。いずれも競争から身を遠ざけることがビジネスのDNAのごとき発言である。
一方、マイケル・ポーター(ハーバード大学経営大学院教授)は、多くの国や州の政府、および企業の戦略アドバイザーを務め、ファイブフォース分析やバリュー・チェーンなど数多くの競争戦略手法を提唱し、1980年に刊行した「競争の戦略」はビジネスマンの教科書とも言え、今も現役で活躍している経営学者である。筆者もご多分に漏れず、サラリーマン時代において、そのフレームワークを学び、実践への応用を試みてきた。加えて、今でもセミナーやコンサルティングを通じて、聴講者やクライアントにその理論を説明する側にいる者である。
BO戦略を著したチャン・キム氏は一言で言うと、反マイケル・ポーター派である。かといって、ピーター・ティールの破壊的Innovationにも与してはいない。印象に残っているのは、「BO戦略」は「誰も傷付けない」という言葉である。つまり、既存のマーケットを破壊して市場を分捕るZero Sum Game志向(勝ち負けがある)ではなく、あくまで新たな市場を作り上げて、それまで顧客ではなかった層を取り込み、これまでの顧客への新たな価値を提供するという志向(Non Zero Sum)である。それは、これまで私が誤解していた「そんなに新しい市場を創るなんて簡単ではないし、新たな市場に出ていって失敗している例はごまんとある」という批判は必ずしも的を得たものではなく、「BOへの6つのパス」による問い直しからROからの飛び地ではないBO創造こそが実践的BO戦略であるという記述は、その視点・切り口を使ってBO創造に挑戦してみようという意欲が湧くほどの説得力がある。日本での事例に乏しいという指摘から2015年刊行された「【新版】ブルー・オーシャン戦略―競争のない世界を創造する」には多くの日本での事例が盛り込まれ、今年刊行された「ブルー・オーシャン・シフト」には、どのように検討を進めれば、BO創造が可能であるかをステップを踏んで、具体的にフレームワーク化したものなので、ご興味のある方は、そちらをご参照いただきたい。
チャン・キム教授の講演では、どのようにして日本が高品質を実現したかというところから話が始まった。日本の高品質はアメリカ生まれのTQCという理論にHuman Factorを加え、小集団活動により、当事者意識・チームワーク・目標共有を強調することで本家アメリカが成し得なかった品質改善を達成したと説く。次に1970年代の日本の成功は競争戦略で成し得たものではなく、欧米の大企業に対して真っ向から競争を挑まず大衆にニーズに即した商品開発により、ソニー・ホンダ・コマツ・ヤマハは差別化と低価格化の両立を果たす(BO戦略そのもの)ことによって事業地盤を築き、成長していったとする。
「差別化」と「低価格化」の両立はBO戦略におけるコア概念であろう。商品やサービスの競争軸がいくつもあって、それぞれを競争相手とベンチマークして「やや勝っている」「幾分安い」では、本当の差別化にはならない。明確に顧客に伝わらない程度の差では意味がない。まずは競争軸を峻別する。何で圧倒的に勝るかを検討する。それ以外は圧倒的に低く設定するか、削る。顧客への価値に繋がる新たな競争軸があれば、それを追加して差別化要素とする。競争軸の峻別なしには、低価格化は成し得ないと教授は説く。
チャン・キム教授は日本は「アメリカから持ち込まれた競争戦略に毒された」と熱弁し、「業界分析をし」「高付加価値戦略か、低価格戦略かのどちらかを選択する」といったマイケル・ポーターの競争戦略とは全く反対の立場を取る。VE的に表現すれば、「『減らす』『取り除く』ことによる低コスト化と『増やす』『付け加える』ことによる顧客にとっての高付加価値を両立する」ということが重要であると力説していた。さらにもうひとつ重要な点として、「BOはずっとBOではない。常に新しいBOを創る努力を怠らないこと」と教授は釘を刺している。BOは必ずCreate⇒Imitate⇒Competeというふうに辿る運命にあるので、如何に競争環境を作らせない戦略(参入しにくさの創造)を取るか不断の努力が必要であること、BOに安住せず新たなBOを探求する飽くなき姿勢も強調している。教授の見立てでは、日本は米国に次ぐ経済大国になってから保守的になってしまった結果、グローバル経済における存在感を失ったのではないかと指摘している。
日本は失われた30年などと自他ともに認めている感がある。高度成長期(需要>供給)にはマイケル・ポーターの競争戦略は機能したのではないかと私なりに解釈している。低成長期(需要<供給)には狙ったセグメントに訴求するような商品やサービスの創造が欠かせない。それは決して得意でもない成長しそうな市場や分野にリスクを忘れて飛びつくことではなく、ピーター・ドラッカーが喝破したように、「既存顧客の満足・既存市場での競争」と「新たな市場や顧客の創造」の両建てで企業運営していかなければならないということであろう。ポーターの競争戦略とBO戦略の使いどころを間違えずに「失われた30年」が過去のものになるように成長戦略に舵を切る時代は米中を筆頭に既に始まっており、日本でもその萌芽は漸く芽吹いてきていると感じる。

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