財務省は2013年8月9日国債・借入金・政府短期証券の残高合計が1008兆円6281億円に達したと発表した。これはGDPの2倍以上、国民一人当たりで言うと792万円の借金を背負っている計算である。将来の人口が減っていくことを考えるとその負担は相対的にさらに大きくなっていくことになる。
政府もこの状況にこれまで手をこまねいてきたわけではなく、1997年度予算編成方針で「財政健全化目標について」を閣議決定し、この年を財政構造改革元年と位置づけ改革に乗り出している。また2001年には郵政民営化を争点に小泉内閣が誕生し、プライマリーバランスつまり単年度の黒字化に向けての財政の立て直しに着手している。しかしながら、その改革は挫折と数字合わせの会計操作に終わっており、以降赤字国債発行が急増していったことは記憶に新しい。遅々として進まぬ財政再建に取り組む姿勢を見せ、国民の大きな期待と支持を取り付けて政権交代を成し遂げた民主党政権は、「政治主導」を旗印に掲げ、無駄を省き国民の負託に応えると言ったものの、事業仕分けなどは拘束力がなく表層的に終わり、結果的には子供手当・高速道路無料化・公立高校無償化などのバラマキが残り、外的要因としては2008年のリーマンショックからの景気後退にも悩まされ期待の大きさの反動で求心力を無くし瓦解していった。
政治家は選挙のたびに選挙民に対して耳触りの良い支出増や減税などのリップサービスが求められ、政権交代が頻繁であればあるほど財政再建の道は遠ざかる。これから3年間は選挙がない安倍内閣がアベノミクス3本の矢でデフレ脱却を果たし、経済成長軌道に乗せ、本丸の財政再建を果たすラストチャンスになる歴史的に重要な時期である。
国の財政と民間企業の財務とは性質を異にするものであるが、歳出歳入のバランス・収支のバランスという意味では相通じるものがある。日本の場合は借金の9%程を外国に依存し、9割以上は国内で償還されているため、ギリシャのような問題はすぐには起きないものの、言ってみれば将来世代にツケを回して現在世代がむさぼっている状態である。この状況下で若者層の投票率が低いというのが私は全く理解できないのであるが、かといってもう日本から出ていくといった強者もそう多くはないらしい。年金には期待できないと諦めている若者の声もよく聞く。日本の資産と負債ではまだ若干資産が多いが、ある学者の試算ではこのままいくと2017年にも債務超過になるらしい。まだまだ諦めてしまうような末期的状況ではないが、最終的には社会保障の質低下や課税強化をしなければ破綻の道を歩む。特に若年層にとって自分たちの将来をより明るく迎える為の権利である投票権をなぜ行使しないのか。放っておいたら身勝手な現在世代がこの世からいなくなってしまった後に、財政赤字の拡大→経常収支の悪化→自国通貨の暴落・信用低下→金利上昇→財政破綻というシナリオが現実味を帯びてくる。これまで10数年低金利が続いてきたので、国債の金利負担は少なかったが、アベノミクスが奏功すれば金利は上がり、財政再建の道はまた険しくなってくるのである。
そもそも財政再建とは景気動向に左右されない、つまり景気回復による収入増を期待しない前提で考えなければならない。これまで楽観的な指標を基に改革を先送りしてきた前政権・官僚ひいては国民の無責任を反省すべき時である。アベノミクスを期待する半面、期待しすぎる楽観論を前提にした財政再建は如何なものかと思う。民間企業で言えば売り上げ増に頼らない構造改革みたいなもので、原価低減すなわち歳出削減をしなければならない。10%の消費税だけで財政再建できないのは多くの学者が指摘しているところである。今の国のかたちを続けていたら、世代間格差が広がるのみならず活力のある国づくりはできない。折角テイクオフ仕掛っている成長戦略も画餅になりかねないのである。
マクロの財政再建議論は多くの方々がこれまでも行っており、その中では社会保障の見直し、経済成長戦略、直接税から間接税へのシフト、公務員制度改革、一般会計と特別会計合わせての透明性、財政規律の法制化などある。並行してミクロの実践論ともいうべき、ある限られた予算の中でどのように効率的に予算を使い最大限の効果を出すかといったValue Engineering的視点がもっと脚光を浴びてくるに違いないと思い、己の剣にも磨きをかけなければいけないと思っているところである。
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