テロとコロナの共通点

新型コロナウイルスは世界へ瞬く間に広がり、未だ収束の目途が立たないでいる。コロナウイルスそのものはこれまでヒトに蔓延している風邪のウイルス4種類と、動物から感染する重症肺炎ウイルス2種類が知られている。今回の新型コロナウイルスはその感染力の強さや再陽性、症状の多様性など未知の領域が多く、単なる風邪の一種とは言えない後者に分類されるもので、世界中の人々を恐れさせている。私も自粛の最初のころは「所詮、風の一種だね」と軽く考えていた節があったし、これまでまとまった時間が無いことを言い訳にしてできなかったことをやる機会に恵まれ、充実した時間が持てると比較的楽観的に捉えていた。ところが事態が長丁場の様相を呈することになり、仕事も完全休業状態、自粛三か月目に突入すると流石にこれといってやることもなってしまった。これまで買うほどのものではない本は図書館から借りて読んでいたが、それもごく最近までサービス停止であったので、再開まで待てない本は本屋やネットで買い求めることとなる。

「21 Lessons」は”21世紀の人類のための21の思考” の副題が付いているユバル・ノア・ハラリ氏の最新刊である。氏はこれまで「サピエンス全史」「ホモ・デウス」を書き下ろし、”私たちはいったどこから来たのか、私たちは何者なのか、そしてどこへ行くのか”を詳らかにしてきた。私も書店でこの2冊を手に取ってみたが、そのボリュームと内容の難解さはとっさに理解できたので、通読には至っていない。「サピエンス全史」は内容には興味があったので、漫画版でお茶を濁すこととした。新著は「今、ここに」にフォーカスしたもので前作と変わらず大著ではあるものの、21の項目に分かれているので、比較的読みやすい。その中で、「テロ」(パニックを起こすな)の項目の記述が、現在のコロナ禍の状況と重なって殊更印象に残っている。以下しばらく冒頭からの引用部分をお読みいただきたい。
「テロリストはマインドコントロールの達人だ。ほんのわずかな数の人しか殺さないが、それでも何十億もの人に恐れを抱かせ、EUやアメリカのような巨大な政治構造を揺るがしてのける。2001年9月11日の同時多発テロ以来、毎年テロリストが殺害する人は、EUで約50人、アメリカで約10人、中国で約7人、全世界で最大2万5000人を数える。それに対して、毎年交通事故で亡くなる人は、ヨーロッパで約8万人、アメリカで約4万人、中国で約27万人、全世界で125万人にのぼる。糖尿病と高血糖値のせいで毎年最大350万人が亡くなり、大気汚染でおよそ700万人が死亡する。それならば、なぜ私たちは、砂糖よりもテロを恐れ、政府は慢性的な大気汚染ではなく、散発的なテロ攻撃のせいで選挙に負けるのか?」
「テロは物的損害を引き起こすのではなく、恐れを広めることで政治情勢が変わるのを期待する戦略だ。通常の戦争では、恐れは物的損害の副産物に過ぎず、害を及ぼす勢力の大きさにたいてい比例している。ところが、テロでは恐れが主役で、テロリストの実際の力と、彼らがまんまと引き起こす恐れとは、驚くほど不釣り合いだ。」
「テロリストは食器店を破壊しようとしているハエのようなものだ。ハエはあまりに微力なので、ティーカップひとつさえ動かせない。それではハエはどうやって食器店を破壊するのか? 牛を見つけて耳の中に飛び込み、ブンブン羽音を立て始める。牛は恐れと怒りで半狂乱になり、食器店を台無しにする。これこそ9・11同時多発テロの後に起こったことだ。」
ここでいう「牛」はアメリカのことだが、世界中には他にも短気な牛がいくらでもいる。コロナウイルスによって世界中の多種多様な牛が騒ぎ立てているような気がする。9・11以降、世界中の空港で厳重な手荷物検査や警備が行われるようになった。主要な都市では数えきれないほどの監視カメラが設置され、衆人の動向を監視・録画している。スノーデンの告白にもあるように盗聴を含むあらゆる個人情報にも手を伸ばす体制。世界中の時間的・経済的ロスは計り知れないが、表立って反対する人間はほぼいない。皆、従順に「新ルール」に従っている。安全を担保に行われているそれら「新常態」の投資対効果はバランスしているのだろうか? 損害を被る産業がある一方、拡大する需要や新しいビジネス創造に成功を手にしている業界もあるだろう。これら一連の「新常態」が当初からテロリストの意図にあったかどうかは別にして、これらは明らかに9・11テロによる副産物と言える。

翻って、新型コロナ(以下、コロナ)もテロ同様に世界中の人々を恐怖に陥れている。「いつ感染するかわからない」「重篤患者になって最悪命を落としてしまうかもしれない」「大切な人にうつしてしまうかもしれない」といった不安に苛まれている人も少なくないであろう。北半球では収束の兆しが見え始めているものの、第ニ波・第三波の襲来に今から怯えている。実際、イランでは1日当たりの感染者数が過去最多を記録した。南半球の本格的な感染拡大はこれからかも知れない。日本では特に著名人が亡くなってから世間における恐怖が増大した。台湾やシンガポールのように早々に入国制限を行い、比較的感染防止に成功した国もあれば、ブラジルやスウェーデンのように経済活動や個人の自由を優先し、今になって国民の支持を失い始めている国もある。感染症対策にしても医療技術にしても世界最強のはずのアメリカは世界一の感染者数と死亡者数を更新し続けているが、トランプ大統領はマスク着用を徹底して拒否し続けている。少しずつコロナの正体が明らかになってきてはいるものの、ワクチンは2021年になるだろうと言われれば、まだまだ未知のウイルスに恐怖を抱くのは当然のことである。
今日現在の世界の感染者数は643万人、死者数は38万人に達している。これからもこの数字が増えていくのは間違いないが、これらの数字は累積数であることを忘れてはならない。今日更新された日本の累計感染者数は16807人、累計退院者数14690人、累計死亡者数903人であり、この数字も増えてはいくが、退院者数の増加はあまり喧伝されない。感染者・入院者がいる一方で、回復して日常生活に戻っている人もいる。全体として見れば、状況は決して悪化しているわけではない。今日一日で入院治療を要する人は66名減って1141名となっているし、退院・療養解除の人は105名増えて14795名になっている。感染急拡大の時期は別にして、医療崩壊するレベルではなくなっている。感染したとしても健常者であればことさら恐れるレベルの状況ではなくなっていると私自身は思っている。マスク不足もすっかり反転し、どこからか湧き出したマスク在庫が安売りされている。コロナによる死者数は前述のテロにより殺害されている人の10倍以上、この一年で20倍に達するかもしれない。我々がテロ対策で常態化した、その10倍以上の社会的・生活的制約をワクチンが完成するまで受け入れるであろうか? 緊急事態宣言解除にあたって、命か経済かのどちらを優先するのかといった議論が巻き起こるが、どちらも優先して対策を施し、最終的には自己責任で自らの行動を律するしかない。

テロとコロナの共通点で感じるのは、正しく恐れ、正しく対応するということである。コロナ禍で自宅にいる時間が増え、TVの視聴率も上がっていると聞く。地上波の番組の多くは、恐怖を煽るのを目的にしているかのような感覚を覚える。事実を伝えるはずの「報道」はワイドショー化し、「結論」ありきで、意図的に情報を誇張する一方、不都合な事実には敢えて触れようとしない地上波が多いのではないか。専門家と称する人の一方的な見解を繰り返し垂れ流し、違う意見を持つ専門家の反論は見て見ぬふり。過去のブログでも放送法第4条について記述したが、公平性を装って不公正に報道する番組には怒りさえ覚える。アメリカの放送局でも偏向報道は行われているが、各局とも旗印を鮮明にしているので、却ってわかりやすいと言えばわかりやすい。日本のような放送法第4条もないので、そもそも公平性を謳っていないだけ日本よりアメリカの方がまだマシである。
日本においては、接触率8割減が西浦教授によって示され、政府の目標としても掲げられたが、異論も各所から出た。まだ未知のウイルスがゆえにいくつかの仮説によって目標設定されるのは致し方ない。目標がないよりあった方が人間の行動の方向性が定まりやすい。しかし、ほとんどの地上波の番組では、いつのまにか都心の人出の定点観測になり、「80%減に届かない」とか、「昨日より10%増え、気の緩みが出ているようです」とか、まことしやかに「報道」している。接触率は人と人との関わりなので、50%人出が減れば、二乗で効いて75%減になる。地上波は一部の過剰反応で起こった自粛警察を非難しておきながら、自らが自粛警察化していることに気づいていないのか、気づいていながら恐怖を煽り、視聴率を稼いでいるのか。恐怖を煽りすぎる結果、経済が落ち込み、企業がスポンサー料を削れば、自らの事業が危うくなるという計算ができない人しか地上波にはいないらしい。そもそもテロは力が弱い集団が採用する戦術である。ウイルスそのものも決して強大な存在ではない。それゆえ人々はひとたび恐怖を刷り込まれれば、容易にその呪縛から逃れることはできない。多面的に事実(実数)を冷静に見れば、正しく恐れ、正しく対応することは可能であるはずだが、周囲には過剰に恐怖を煽る似非情報がスピーカーを通して人々を容赦なく襲う。テロもコロナも恐怖を感じるほどは実害を与えない。人々の恐怖の多くはテロであれ、コロナであれ、どちらも実はEmotinalな反応によるものであることに気づく。それゆえ意識してScientific(科学、データ、数字、論理)な角度から正視してみる必要がある。それを間違った倍率や歪んだレンズ(偏向メディアなど)で見ないように、レンズの選び方も慎重であらねばならない。最近、地上波を観る私のスタンスは、間違った情報、間違った報道、間違った論理をチェックするために短時間ニュースを観る程度である。思わずTVに向かって「うそだよ!」「バカじゃない!」と叫ぶのは年のせいであろうか。上述のテロの章にはこんな件がある。「あいにくマスメディアは無料でテロの宣伝を行うことがあまりに多すぎる。ものに憑かれたようにテロ攻撃を報じ続け、その危険をやたらに膨らませてしまう。(中略)マスメディアがテロにこだわったり、政府が過剰に反応したりするのを促しているのは、私たち自身のうちにある恐怖心なのだ。」

(追記:最近、「情弱」という言葉を聞くようになった。「情報弱者」の略だという。典型的な情弱は地上波TVや伝統的大衆新聞などのオールドメディアからしか情報を得ていない人のことをいうようだ。一方、最近の若者で新聞を読んでいる人は極少数、TVもほとんど観ない。多くの情報をネットから入手している。どちらが情弱かわからないが、個々の情報をすぐ飲み込んでしまうのではなく、その出所や背景・理由を一旦立ち止まって考えてみることが、情弱から抜け出るひとつの手段なのだと思う。2020年9月9日)

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