人種差別問題に揺れるアメリカに想う

2020年5月25日に米ミネソタ州で白人警官が黒人男性ジョージ・フロイドさんの首を8分以上膝で地面に押し付け、死亡させた事件が発生した。この事件をきっかけに全米はおろか各国にBLM(Black Lives Matter:黒人の命は大切だ)デモ活動が広がりを見せている。SNSによる動画配信はその生々しさと拡散性をもって大きなうねりを作り得る存在になった。
フロイドさんが亡くなるまでの間に「息ができない」と20回以上訴えていたことや、助けを求めて「殺される」と繰り返していたこと、閉所恐怖症で警察車両に入れられることを拒んだこと等が合わせて報道された。
そもそもフロイドさんはどのような経緯で拘束されたのか?フロイドさん行きつけの食料雑貨店で偽20ドル札を使った容疑で警察に拘束されている(使われた20ドル札は本物であったのか、偽物であったのかは公にされていない)。ミネアポリス警察はフロイドさんがアルコールか薬の影響下にあって、身体的に抵抗したと主張している。フロイドさんは身長193センチ体重101キロ、過去に窃盗や薬物所持で逮捕されている前科者である。2007年にはヒューストンで住居に侵入し武装して強盗した容疑で起訴され、2009年に裁判で司法取引を受け入れ懲役5年の判決を受け収監された過去がある人物である。
BLMは一方でBlue Lives Matterとも訳され、青い制服を着た警察官の命や人権を主張する行動としても一定の広がりを見せており、いや全ての人の命が大事だと訴えるAll Lives Matterという活動もある(綺麗ごとを言うなという反発も少なくない)。
人種対立に至る同様な事件は過去にいくつもあり、2014年8月9日非武装の18歳の黒人男性マイケル・ブラウンさんが、ファーガソンの白人警官ダレン・ウィルソンに射殺された事件では、群衆による略奪や車の破壊が行われ、州兵が出動するにまで至っている。
アメリカの人種差別問題はこのように一触即発の状態を常に孕んでいて、そのような暴発の危険性をドラッグ蔓延、自衛という名の銃社会、所得格差による貧困問題、社会保障制度による医療格差などが増幅加速させている社会背景を無視できない。これらNegativeな社会背景の課題解決なしには、こういった人種対立は収束しないと思われるが、個人の自由を最優先に掲げる自由国家アメリカは有効な手を打たねばという大きな「うねり」を感じることは残念ながら無い。

そもそもアメリカは移民社会である。1620年に北アメリカ大陸に到着したピルグリム・ファーザーズを起源として、多くの移民が富と名声を求めてリスクを顧みずやってきた人たちが作り上げた国家である。17世紀から18世紀にかけてイギリスがフランスやスペインと戦い、アメリカにおける植民地を次々と獲得し東海岸一帯を手中に収め、南部に広がるスペイン植民地への奴隷売買権を得ることになる。イギリスはその後先住民のインディアンを駆逐し、西側へ領土を拡大することとなる。
今やリベラルな看板を掲げる民主党の最初の大統領は第7代アンドリュー・ジャクソンで、彼は1833年「インディアンは白人と共存し得ない。野蛮人で劣等民族のインディアンはすべて滅ぼされるべきである」と議会で演説し、「インディアン移住法」を可決した男である。発想はあの悪名高きヒトラーと変わらない。
アメリカの奴隷制度はリンカーン大統領により1865年に公式には廃止されたが、社会的な差別や人種差別主義者からの迫害は長く続き、これも悪名高きKKK(クー・クラックス・クラン)等の白人至上主義団体による私刑は20世紀半ばを過ぎても多くの黒人の命を奪い続けた。その残火は今も消えることなく、数千人の会員によって活動は続けられている。

国家間で奴隷を取引する奴隷貿易の歴史は古代ギリシャの時代まで遡るが、それは人格を認められない「動産」、つまり人間としてではなく「物言う道具」として取引されていた。大航海時代から始まる植民地時代には人的資源の確保を目的に奴隷貿易は栄えたが、必ずしもヨーロッパ列強が無理やり搾取・略奪をしたという「常識」は必ずしも正鵠を得ているとは言えない。当時のアフリカ現地人が奴隷狩りを行い、商取引によって欧州人と売買したものである。今の常識からすれば酷い話ではあるが、奴隷船の内部構造を見れば、明らかに人間として扱われていないことがわかる。劣悪な環境による船内での死者は「歩留まり」として認識されていたに違いない。

#BlackLivesMatter活動の活発化により、過去の偉人の銅像が次々と倒されている。奴隷制の存続を主張していた「南部連合」のアルバート・パイク将軍のワシントンにある銅像、イギリス南西部のブリストルでは奴隷商人エドワード・コルストンの銅像が海に投げ込まれた。南アフリカに渡ってダイヤモンドの採掘により大富豪となったセシル・ローズは多額の寄付を行ったオックスフォード大学から像を撤去(ローズ奨学金によってクリントン元大統領らが支援を受けている)される。ニューヨークの第26代米大統領セオドア・ルーズベルト像は両脇に先住民とアフリカ系の男性が立っているという理由により撤去される。ホワイトハウス前の前述ジャクソン大統領の銅像も倒されかけ、ロンドン議会前のチャーチル像は「人種差別主義者」と落書きされるという軽傷で収まっているとは笑い事にもならない。さらにこの流れが当然とばかりにアニメの声優も人種通りにキャストせよとなり、非白人の声を演じた白人俳優が謝罪を迫られるなど常軌を逸した事態が発生している。アニメ文化に強い日本を舞台にした日本人の物語の場合、これからは日系アメリカ人のキャストに声を任せることになるのだろうか。ライオンキングやドラえもんの吹き替えは誰が出来るのだろうか。自己を主張しながら、実は活躍の場を自ら狭めていることに気づかないのだろうか?

相前後して、「アメリカの鏡・日本」という本を読んだ。1948年にアメリカで出版されたが、マッカーサーが邦訳を禁じた書である。第一次世界大戦によって欧米列強並みの五大国に選出された日本であるが、日本がアメリカ白人社会への脅威であるという黄禍論のプロパガンダによって標的にされたと解説している。太平洋戦争の大義をアメリカ社会に植え付けることに成功したのが当時の第32代米大統領フランクリン・ルーズベルトである(周辺の左翼リベラル派に影響を受けたとする書「ヴェノナ文書」もある)。著者ヘレン・ミアーズによれば、欧米各国が植民地争奪に向かう中、日本が欧米列強に屈せじと資源を求めて周辺アジアに進出していったのは、欧米が行ってきたそのもののコピーであって、米国にその罪を裁く資格はないと主張する、アメリカにとっては禁断の書である。
戦後、日本は東京裁判によって、過去いずれの国際法にもない「人道に対する罪」「平和に対する罪」という罪状で裁かれた。法の公理でもある「事後法禁止の原則」に反して、それまでの国際法にない「罪」の遡り適用によって28名のA級戦犯(A級とは前述の「平和に対する罪」で裁かれた人のことであって、A級の極悪人という意味ではない)が起訴されたのである。同様の「罪」は仁義なき戦場では当然戦勝国でも行われていたが、戦勝国には「平和に対する罪」は存在せず、「敗戦国」にのみ適用(しつこいようだが遡及適用)となった。まさに勝てば官軍、負ければ賊軍である。

過去に遡って一面だけを捉えて銅像を引き倒そうとする#BlackLivesMatterの行為を見て、東京裁判の不公正さを思い出した。全ての人間には良い面・悪い面の両方があるでしょう。人の見方によっては同じ行為でも良く見えたり、悪く見えたりするでしょう。さらに過去にまで遡れば、それも既にこの世にいない人間を相手に「罵詈雑言」を浴びせかけるのは、本人の留飲を下げる以外の効果はありません。そう思うのであれば、反面教師として自らの行いに反映していけばいいことです。周りにもそのように「良い」影響を与えられるように努力すればいいことです。ある一面だけを歴史背景や経緯を見ずに裁くことはリンチ(私刑)そのもので問題解決から遠のくばかりか、人類の分断を加速し、自ら息苦しい時代を作ってしまう愚かな行動としか思えません。以前眩いばかりに輝いていたAmerican Dreamはどこへ行ってしまったのでしょうか。

コメント