言論の自由と事実の確証

トランプ氏は史上初めてSNSをフル活用した大統領として名前を残すだろう。大統領に就任する前からTwitterを選挙戦のツールとして使いこなして大統領の座を射止め、その後も休むことなくSNSによる発信を行ってきた。2017年1月20日就任後の半年間の月平均つぶやき回数は136回。その後も数字を伸ばし続け、選挙戦只中の20年9月には722回に達し、なんと1時間に1回はつぶやいた計算になる。政敵のバイデン氏を「Sleepy Joe」などと貶めたりする投稿に眉をしかめる向きもあり、アメリカ民主主義の質低下と分断を煽ったことに違いはない。
大統領選挙の選挙人集計結果を承認するための上下両院合同会議が始まる21年1月6日、民主主義国家の旗手とも言える米国で議事堂突入という目を疑わんばかりの事態が発生した。トランプ氏は選挙敗北後もSNSで執拗に選挙の不正を訴え続け、当日は支持者に「我々は敗北を認めない。ここから議事堂まで行進せよ」とホワイトハウス前に集まった数千人の支持者を煽ったことが前代未聞の事態に至った理由であることは疑いない。
Twitterはトランプ氏が今後も暴力行為を扇動する可能性があることなどを理由に氏のアカウントを即日一時停止。翌日にはFacebookが無期限停止措置を取り、続いてTwitterが永久停止の措置に踏み切った。Twitterの代替として多くのトランプ氏の支持者が活用するソーシャルメディア・アプリ「Parler」についても、Googleが8日、Appleが9日、それぞれ自社のアプリ・ストアで凍結・削除したほか、Amazonもホスティング・サービスの提供を停止した。YouTubeもトランプ氏の新規投稿を一時凍結し、Snapchatも永久停止を発表した。

これを機にSNSは重大な曲がり角に立たされたと言える。SNSはこれまでプラットフォームとして場所を提供し広告業を営んでいるという位置付けでビジネスを行ってきた。それにより米通信品位法230条により編集責任を免除されている。いわゆるフェークニュースを垂れ流していながら責任を問われてこなかったのは、この法律がバックボーンにあるからだ。一方、230条はSNS事業者がユーザーの投稿を削除するなど、手を加えることは認めている。SNS事業者が今後も検閲や自主規制を行うとなると、もはやプラットフォーマーではなくパブリッシャー(出版社)になり編集責任免除の口実(法的根拠)がなくなってしまう。SNS各社は小さな私企業としてスタートアップし、当初は誰がどんな意見を述べようと外部がとやかく言う筋合いはないという姿勢で済んできたが、今や巨大な影響力を持ち公共性を帯びる存在となった。FacebookやTwitter、LINEなどのSNSが中国で使えないということが象徴しているように、GAFAに代表される巨大プラットフォーマーは今や国家すら脅かす存在になっているという実態がある。中国におけるGAFAと呼ばれるBATH(Baidu、Alibaba、Tencent、Huawei)はほぼ完全に中国共産党の管理の元に運営する存在であり、昨年10月に中国の金融監督行政を批判したアリババ創業者ジャック・マー氏は約3か月姿をくらました。明らかに国家と巨大IT企業は避けることのできない軋轢に直面している。期せずして米中二大国において民衆を巻き込んだ国家と巨大企業のつばぜり合いが起こっているのである。

新聞やテレビなどの既存メディアは当然のように編集責任を問われるし、署名記事も多い。しかし対立する意見を平等に掲載する姿勢を維持している既存メディアはもはや少なく、ほとんどが社の方針に沿った編集を行っているのが実態である。読者も自身に耳障りの良い情報に触れてまさに意を得たりと安堵している。ここまでフェイクニュースという言葉が社会に広がり、自身に耳障りな情報は信じない、あるいは陰謀説として一蹴する状況が蔓延してしまうと、多くの人々が事実の確証に全く無頓着になってしまうのではないかという恐れを感じる。最近、ジャーナリストという言葉を聞かなくなった。コメンテーターなる人々が跋扈し、事実の裏付けに乏しいイメージ先行の私見をさも当然とばかりに公共の電波に乗せるテレビ局はどうかと思うし、しゃべる方も無責任でどうかしている。自身の専門分野であるならまだしも、井戸端会議の延長線で公共の電波を使われては堪らない。悲しいかな情報価値を見極める眼力はSNSであろうが既存メディアであろうが、読者・視聴者にますます求められる状況は続くであろうが、事実を提供してくれる真のジャーナリストの復権を望みたい。一部のインターネット情報を通じて真実に迫るジャーナリストがいることは承知しているがその奮起に敢えてエールを送りたい。

トランプ氏のアカウントの無期限停止措置を取ったFacebookは、20人の政治家や学識経験者・ジャーナリストなどで構成する監督委員会にトランプ氏のアカウント凍結決定の是非を諮問すること決めた。SNS事業者がアカウント凍結や投稿削除を一方的に決め、言論の自由を制限することは正しいのか否か。
欧州からはメルケル独首相はじめ何人かの閣僚がTwitterのアカウント永久停止を表現の自由を侵害する「問題ある行為」であると指摘し、大手IT企業の決定ではなく法整備を通じて扇動的な発言を縛るべきだと提言している。ドイツではヒトラー時代の悪夢があり、ナチスを礼賛したりユダヤ人虐殺を否定したりする言説は法律違反となっているのだ。
一方、米国では表現の自由を規定する合衆国憲法修正第1条により政府による検閲を禁じており、個人の基本的人権である表現の自由は不可侵との意識が強い。これまで表現の自由は国家権力から個人を守ることを前提にしてきたが、巨大IT企業が国家権力(たとえば米国大統領)の表現を縛る(検閲する)事態を想定した法体系が必要になったことを冒頭の事態は意味する。
改めて既存か新興かを問わず全てのメディアは事実と意見を明確に分けて発信するということを肝に銘じてもらいたい。昔のニュース番組は淡々と事実だけを報じていた。それらの事実に基づいて視聴者は己の判断で己の行動に転化をしていった。日本のニュース番組が変わったのは1985年に始まったニュースステーションだと言われている。久米宏氏の軽妙な語り口によって翌年には視聴率20%を超えるテレビ朝日の看板番組となった。今では各局のワイドショーのみならず、ほとんどのニュース番組がニュースステーションの形を模したバラエティ番組と化しているのみならず、時に度を越して偏向している。ジャーナリズムとは「時事問題の報道・解説・批評などを行う活動」と定義されるが、多くのメディアは事実の確証がいい加減で、そのいい加減な「事実」に基づいて底の浅い解説と、思い込みによる批評を繰り返している。もっともっと事実の確証に真摯に向き合うことこそジャーナリズムの真の姿であると思うし、自身の生き残る道であると思う。

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