アメリカに駐在していた時に立食パーティなどの席でタブーとされる話題は政治や宗教の話であると言われました。親しい仲間内ではそうではないでしょうが、激しい論争になる可能性があるので避けた方が宜しいということなのだと思います。しかしそういったことが実は社会では重要で、私のブログでは話題に挙げていきたいと思います。
世界の宗教人口はキリスト教が22.5億人で一番、次にイスラム教15億人。それにユダヤ教1.5億人を加えると世界の55%以上の人達が唯一神教、つまり唯一の神を崇み他の神々を認めない信者です。いずれも聖書の預言者アブラハムに繋がる「アブラハムの宗教」と呼ばれ、兄弟宗教とも言えます。言ってみれば同じ神を信じているわけですが、何千年と争いが絶えませんね。どれほど多くの人が「殉教」していったのでしょうか。
最近、欧州ではキリスト教信者(毎週日曜日に教会へお祈りに行く人)が減っている一方、世界的にはイスラム教が勢力を伸ばしていると聞いています。日本人は無宗教とか言われて「信じる宗教がないなんて何てことなの!?」と非文明人のように思われていた時もありましたが、世界的にもだんだん宗教に頼らなくても生きていける、あるいは信心している時間が無くなるほど忙しくなってくると宗教心は薄れてくるのかもしれません。個人的に自立してくれば必ずしも宗教ではなく自らの信条を支えに生きていく人が増えてくるのかもしれません。
日本では一般的には山や川など自然に恵まれ、自然信仰から所謂八百万の神を信仰する多神教神道が起源とされ、その後の仏教の伝来やキリスト教の布教などにより紆余曲折はありましたが、現代社会では神と仏を合わせた神仏習合が多数を占めています。憲法で保障された宗教の自由により様々な宗教団体が存在し全国に22万(宗教法人18万)あると言われています。日本は文化的にも諸外国から新しい文化や異文化を取り入れるのがうまく、排他的な歴史はそう多くはありません。寛容な民族と言えるかもしれません。多神教はもともと複数の神様が存在するので、一つ二つ増えても大勢に影響ないということなのでしょう。
ゾロアスター教やバラモン教も一神教に括られますが、他の神を排他しません。神道・道教・ヒンドゥー教は多神教で、ギリシャ神話・北欧神話・ケルト神話などキリスト教化以前の神話には沢山の神が出てきて、多神教と言えます。紀元前15世紀頃アナトリア半島に王国を築いたヒッタイト帝国は高度な製鉄技術によりメソポタミアなど周辺国を次々と征服しましたが、それぞれの神を内に取り入れて弾圧や消し去ることはしなかったそうです。
今は世界の半数以上の人達が唯一神しか認めず、多神教の私から見れば不毛な戦いに終始している姿は痛々しさを感じます。それが人々を救うはずの宗教の姿なのかと。イスラム教の教義には一夫多妻が認められています。アフリカにも宗教とは関係なく一夫多妻制が認められている国がありケニアには特に多いと聞いています。日本でも上流社会における側室制度や富裕商人が妾を持つということも社会的に認められていました。それらの中には戦いに明け暮れるため、男子が少なくなり、それを補う形で制度として定着したという見解もあります。この場合は戦時における戦士を作るための仕組みだったと言えましょう。社会が安定化してくると一夫多妻制の必要性は減少していくのだろうと思います。
戦いは貧しさを生み、貧しさは教育の機会を奪い、成長のチャンスを与えられず延々と社会の底辺で生きていかなければならない人生の何と悲しい事か。憎しみの連鎖から何も得るものはないと歴史が証明していると思います。他人への寛容さを持って、自己の鍛錬を以って平和な社会の実現に向かってほしいと思います。実は私の小学校卒業の寄せ書きには「世界平和」と書きました。今、それが蘇ってきました。
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